いきなりの迷走

元旦からブログをはじめると宣言したのはなんとなく一歩前進感があったのだが、すでにブログ利用者が日本で2000万人を超えていることを知るに至り、ただただ呆然とするばかり。みんな何書いてるんだろう、と調べる気にもならない。それにしても凄まじい発信意欲である。そんなに日本国民は主張する民であったのか。これだけの主張が日本中を駆け巡っているのかと思うと眩暈すらしてくる。

そこでひとつの疑問が湧いてきた。
数少ないながらいくつかのブログを訪ねてみたら、著名な方以外は大半が匿名である。匿名で主張、発信とはどういうことなのであろうか。
すでにブログの匿名性についての議論はとっくに終わっているはずであるが、私には新鮮なのでちょいと口を挟む。

私が中高生の頃はラジオへの葉書の投稿が無名の人間にとって、不特定多数の方々に自分をかすかにではあっても知ってもらえる比較的確度の高い手段であった。であるから、何かしら機会があれば本名でリクエスト葉書を書いたりしたのである。リクエストをするという行為は「自分はこんな曲が好きなんだ」という主張であるので、それが達成された時にはたまらない充実感があった。翌日には「大倉、昨日名前呼ばれちょったの」と声をかけられるのは、気恥ずかしくはあるが99%は喜ばしい事態であった。一度KBCラジオで「サージャント・ペパー」のLPをもらった時は大声で家の中を駆け回り、翌日、学校では英雄気取りである。しかも、パーソナリティが「ほー、サージャント・ペパーをご所望ですか」と話してくれたので、これこそまさに自分の音楽嗜好が公にされたのだ。それに「ほー」と言ってくれたわけだから、しばらくは有頂天だった。

その後、自分の名前や顔が公衆に晒されるようなことは考えたこともなく、実直に仕事をしていたが、どういう気まぐれかラジオで99年に話し始めてから、自分の名前を自分でメディアに乗せるということになり、初めてことの重大さに気がついた。「大倉がこう言った」ということに反応が返ってくるのである。恐いよ、これは。暖かい声援もあるが、始めたばかりの頃はFAXでボコボコに叩かれる。すでに葉書の時代はほぼ終焉を迎えていた。しかし、FAXの時はまだよかった。匿名の方が比較的少なかったのである。ディレクターの方針で匿名希望と書かれた方からのものは「匿名希望の方からです」と紹介していたのだが、何にも書いてない場合は本名で送ってくれた人の名前を呼んでいた。FAXで書くということは自筆であるから、せいぜい「気に食わん」くらいであったのだが、ちょうど半年くらいしてから、メールでの反応が増えてきた。そうなると罵りの火蓋が切って落とされた。

番組宛だけではない。いたるところで「大倉眠すぎ」「噛むな」の嵐、もちろん噛むのが悪いのだが、それくらいならまだいい方で、面と向かって言われたら、卒倒しそうなことまであちこちで書かれ始め、たまたま読んでしまった日には寝られなくなる。ラジオの仕事は楽しかったが、ほめられて伸びる私には辛いことも多々あった。FAXでは書けないことが、メールだと平気で書けている印象をそのとき強く持った。

そのうちいつの頃からか、ラジオネームという言葉が当たり前になってしまい、匿名もなにもあったもんじゃない。
リクエスト葉書を読まれたことで、自分の名前がいささかなりともパブリックになったと喜んでいた私はなんだったのだろうかと不思議になる。ラジオネームじゃ、「おお、お前の読まれたな」なんてことはないわけで、個人の主張、発信というものは、匿名においてしかなされなくなってしまった。

ラジオで起きた変化は、おそらくブログの匿名性と同期しているはずである。
ブログの主張、発信も匿名の元でなされる。
プライバシーの問題がセンシティブであることは百も承知。しかし、それは40年前も同様であった。コンピューター、携帯メール、ブログ、SNS等々々で予想し得なかったややこしい問題が起きつつあることもわかるが、基本的には人間同士がやりとりをしているのである。そういった電脳空間でのやりとりから起こる犯罪も増えているが、凶悪犯罪はずっと減り続けている。秋葉原連続殺傷事件のように非常に唐突で理由が理解できないといわれる事件は時代を映し出す鏡のようなものである。匿名でのやりとりという、もともと「本来の自分」を隠しても孤立してしまう人々がいる。


村上龍がずいぶん昔に書いた近未来を描いた小説で、自らの身体を傷つけ、変形させ、自我を保つ、という内容のものがあったが慧眼であった。私にはそのような先を見越す才能などないので、ひっそり様子を伺うのみであるが、このブログを続けながら、考えていくことになるのだろう。

日々の暮らしを匿名でおくっている人はごく一部なはずで、普通好きな人間に「コリン星人」と名乗るアホはいないだろう。名前を名乗らずに生活を営むことはなかなかハードである。
てなことをつらつら考えていると、「恋人が欲しくない」男女が増えていることにもどこかでつながっているような気がして仕方がない。

正月早々、しかもブログ1回目からわけのわからないことをだらだらと書いてしまった。これ普通読まないな。
このブログで書くことの紹介をするつもりだったのに。

このブログは日記ではありません。
昔話、映画、本、旅、ただ思いついたことを書いていくテーマのない超迷走ブログです。
よろしくお付き合いください。

毎回1枚写真を貼り付けておきます。
本文と関係あることないことごたまぜです。
写真は4年前バナーラスでガンジス河ばかり見ていたときに撮ったもの。
私はまだフィルムカメラを使っているので、写真をスキャンしてアップするのがすごく大変。
そのため、しばらくは2年前にやった写真展の時にスキャンした昔の写真を載せることになります。