墓話

最近、同年代の友人と飯を食うと必ず墓の話で盛り上がる。
自分が死んだらどこの墓に入るか悩むのである。
かつてのバカ話がハカ話になってしまった。

結構真剣だから私のような鳥葬希望・墓いらない派はあまり口を挟めない。
気圧されちゃいます。

先日、下関にあった爺さんたちからの墓を閉じてまいりました。
墓参りを理由に帰省するってのも悪くはないんだけど、時間と交通費を考えると「今日はお墓参り」って感じじゃないでしょ。

もともとお釈迦様が涅槃に入られるときは「余計なことすんじゃねーぞ」と言い残したんだけど、弟子は阿呆だからお墓をつくちゃった。
それがストゥーパですね。
仏舎利と言われているもののほとんどは偽もんだと思うけど、それを奪い合ったりね。
面倒なことですわ。
お釈迦様の教えとは何の関係もないことでござんす。

それから我に帰った仏教徒は墓を作ることなんてしませんでした。
ビンズー教にも墓なんてないし。
上座部仏教小乗仏教大乗仏教からは蔑称的に呼ばれたりもします)の国にもお墓はないですよ。

大乗仏教が中国に入った頃から墓を作り始めちゃったみたい。
儒教の影響で先祖供養がかぶさってきたんですね。
それはそれでかまわないんだけど、仏教=墓と考えるのはちょっと抵抗がありますわ。

さて、私が鳥葬にしてもらえる可能性は限りなく低い。
チベットかムスタン辺りのネパールで死ねたら「鳥葬でお願い」と言い残せるんだけど、それだと死亡証明書とかどうなるのかとかさ、遺産をどうするのとかさ、そういうことがどうしていいんだかわからなくなるでしょ。
本当は遺産なんてないんだけど。
だもんで、私の鳥葬は夢で終わりそうな気配が濃厚であります。
日本で鳥葬を請け負っている会社があればご連絡ください。
予約します。

で、そんな私ではありますが、本日は親父の納骨となりました。
墓を閉じてきて、親父の骨の一部を東京に持ってきたんですな。
母親が新宿の納骨堂に入れたい、自分も入りたい、ということになったわけです。
さすが不良老人。
新宿に墓だ。
おかげで私達兄妹も墓参りに不自由することがなくなる。

そんなわけで、自動的に私の骨も鳥葬にならない限り、母親と一緒にそこに収まることになります。
たくさんは入らないから、少しだけだけど。
すると、骨が余ります。
その骨は鳩とか鶏にあげてもらえないもんだろうか。
あくまでも、何者かに食べられたいんです。
豚でも熊でもハイエナでもいいんです。
せめて死んだら生態系に加わりたいんです。

おかしい?
おかしいんだろうな。

でも、墓地の雰囲気は好き。
打ち捨てられた墓石。
アルメニア、イェレヴァン郊外で撮りました。