墓碑銘

昨日の続き。
納骨が終わりました。
「これで、安らかに眠ることができます。ありがとうございました」
と母親が挨拶しておりました。

お墓はどこかに収まっていて、こちらがカードで呼び出す方式なんで、どなたが行ってもお花をあげられるというものではありません。
私が死んで「お線香だけでも」と切実に望まれましても、それはできませんのでよろしくご理解ください。
暇な人はガンジス川で手を合わせてくれればいいかな。

お墓なんで墓碑銘が必要であります。
当たり前のことを考えれば「大倉家」でしょう。
他のことを書いてもしょうがない。
しかし、カードがないとお墓は現れないんだから、基本的には関係者以外見ることはなわけで、何が書かれていても自分たちがわかればいいということになります。
そうなると「大倉家」「大倉家之墓」じゃなくて、「愛」とか「真心」とか、修学旅行の小学生が勘違いして石に彫り込んだのを買って喜んでる的なものもあるそうであります。
最近の小学生がどうだか知らんけどな。

私の父親は戦時中だったこともあり、とりあえず医専に行けということになったらしく、本当は小説を書きたかったらしいんだけど、我慢して医者になったと聞いたことがあります。
物心ついてから「これを書いた」と医者仲間の雑誌に寄稿したエッセイを読まされたことがありますが、へたくそでね。
あの方は文章の才能はなかった。
絵を描いてました。
これはそこそこうまい。
字は仰天するほどうまかった。

で、たまに気の利いた句が浮かぶと、サラサラと和紙にしたためて、冷蔵庫にマグネットでとめておいたりしたんですわ。
ちょっと不思議ですね。
不思議なんだけど、妙に気になるものが誰も住んでいない実家に長年放置されておりました。
「墓碑銘どうしようかねえ」と母親、妹から相談された時、すぐに頭に浮かんだのがその句でございます。
季語が重なっているし、意味もよくわからないので、出来がいいとは言えないんだろうけど、親族以外誰も見やしないし、全員が気に入ったんだからそれでいい、ということになりました。
お寺の方が「そりゃないでしょう」と却下するかと危惧したんだけど、何事もなくそのまま墓碑銘となりました。

かくして、以下の写真のようなことになったのであります。
ここに大倉家の者は眠ることになりました。