年賀状嫌いの女

私が風邪で伏せっている時に電話が鳴った。
「あ、大倉さんですか?すっごくくだらないことなんですけどいいですか」
「北海道の蟹を今格安でお分けしているんですが」とかいうのではなくて、普段お世話になっているアートディレクターからだったんで、また今度ね、とも言えず「はい、どうぞ」と返事をしてみた。

「実は年賀状なんですけど」
こいつは年賀状をいつもギリギリまで悩みまくった末、デザインでごまかす。
人の年賀状にケチをつける気はないんだけど、相談されるんで、デザインで適当にごまかすんじゃねーぞ、とだけお答えしている。

「また、適当にやろうと思ってんだろうが」
「いいえ、違います。今年おじいちゃんが亡くなったんで、『喪中につき』ってのを出すんです」
「ああ、そうだったね。ご愁傷様でした」
「なんですか、そのご愁傷様でしたってのは」
「忘れてくれ」
「それでですね。みんな葉書で出すじゃないですか」
「葉書で出すと、よけておけるから、翌年喪中だったから年賀状来なかったんだ、今年は出せるな、ってわかるじゃん」
「あー、なるほどね、でも私年賀状って死ぬほど嫌いなんです」
「知ってます」
「送りたくないし、来なくていいんです」
「じゃあ、やめたら」
「でも、やめるとこいつ年賀状も作れないのかよ、と思われそうじゃないですか」
「思う人もいるかもしれんよ」
「なんでですかー!あんなもんなんの役に立つんですかー!全然意味ないじゃないですか」
「それは人それぞれじゃん。俺、年賀状出すの好きだもん」
「変わってますね」
「覚悟だろ。年賀状を作らない奴と思われていい、と思えばいいだけじゃん」
「あー、どうしよう」
「でも、お前、今年は年賀状作んないんだろ」
「あ、そうでした。それでですね、喪中の葉書も意味ないじゃないですか」
そうくるか。
「要は面倒なことしたくないってことね」
「そうなんですよ。だからメールで送ろうと思って」
なるほど。
「そういう人もこれから増えるかもしれないね」
「今はいないんですか」
「俺のとこには『喪中につき』ってのはメールじゃ来ないね」
「えー、みんな暇なんですか」
「暇じゃねーだろ」
「葉書じゃないとダメですかね」
「それはお前が判断すりゃいいんじゃないの。なんと思われようがいいって」
「あー、なんと思われてもいいです」
「じゃ、そういうことで」
「ダメダメ。でですね、私が『喪中につき』とか書くと子供が書いたような文章になるじゃないですか」
「いいんじゃないか、それも。『私の大好きだったおじいちゃんが今年亡くなってしまいました』とかいう出だしでもぐっとくるんじゃないの」
「スゲー怖かったんですよ」
「好きじゃなかったの」
「いや、好きでした」
「そんで、俺に何の相談?」
「私が書くと子供体になるんで、大倉さん、大人が書くような文章書いてもらえませんか」
「決まり文句があるんだよ。それを差し替えればいいだけだよ」
「でも、そんな喪中の葉書なんかもらったこともないんで知らないんですよ」
面倒だから、書いてやることにした。
「じゃ、お前のおじいちゃんの名前と亡くなった日を教えて」
「えーーーーー!何でですか」
「入れるんだよ」
「何でそんな個人情報を流出させるんですか。祖父が亡くなりました、でいいじゃないですか」
「お前が大人が書くような文章っていうから形式にのっとろうとしてるだけだよ」
「嫌ですよ。じいちゃんの名前なんか知られたくないし、いつ死んだなんてみんな知りたくないだろうし」
「お前、チビマルコみたいだな」
「何の関係があるんですか」
「しかし、一理あるな。でもそれ抜くと一行になるぞ。大人の文章じゃないぞ」
「いいんですよ、一行で」
「じゃ、そういうことで」
と口頭でこれでいいんじゃないの、という一文を伝えてあげました。
その後、年賀状の悪口をさんざん叫びまくったあげく「来年の年賀状、大倉さん私の分も作ってくださいよ。同じデザインでいいですから」とメチャクチャなことを言い始めたんで、いとまごいをしました。

年賀状、ちゃんと作ろ。

今日は娘の誕生日。昔の写真は載せてもいいという取り決めになっている。