アメリカの悲劇と希望と悲劇

昨日、アメリカ、フロリダ州、サンフォードという町である事件の評決が下された。
昨年2月26日にヒスパニック系の白人自警団の男性が「怪しい」黒人少年が町をうろついていたのを見かけ、警察に通報した後、そのまま追いかけ乱闘となった末、少年を携帯していた拳銃で撃ち殺した。
撃ち殺した男性は正当防衛が認められ、すべての容疑について無罪となった。

評決直後、ワシントンポストがネット上でブレイキング・ニュースとして流し、その数時間後日本でもネットに上記のような短いニュースが載った。

こういう事件はアメリカでは珍しいことではないので、日本ではあまり大きく取り上げられることはなく、反応も薄い。
本日の日経では目立たないところに小さく扱われている。

私はこの事件が起きたときにうんざりしながらも、何が起きたのか調べていたので、評決に驚いた。
無罪になるわけがない、と思い込んでいたからだ。

自警団の男は本人の怪しい「怪しい」という勘をもとに黒人少年を執拗に追いかけ、警察に通報し、「追跡を続ける」と言い残している。警察は「やめろ」と警告している。
何を怪しいと思ったのかはよくわかっていない。
少年は武器は一切所持しておらず、ただ歩いていただけだった。
自警団の男は拳銃を携帯していた。
アメリカでも町をぶらつくときに拳銃を持っていいはずはないので、自警団ということで所持を許されていたのだろう。

この事件は判断が難しい、と言われていたのは目撃者がいなかったことである。
無罪となったジマーマンが話すには「雨の中を知らない顔をした男を見かけたとき、すぐに犯罪者だと確信し、警察に通報押した」。警察は上記の通り「追跡をやめるように」と答えている。
それでも彼は拳銃を腰に差し少年を追った。そして乱闘となり、拳銃で少年の心臓を打ち抜いた。

ジマーマンは警察に通報した際、「チンピラだ。あいつらはすぐに逃げてしまう。強盗だと思う」と話している。
少年は殺される直前に女性の友人に携帯電話で「気味の悪いおかしな奴に追われている。怖い」と話したと友人は証言したが、年齢を偽ったこと、少年の告別式に出席しなかったということで証言の信憑性を疑われたという。

ジマーマンと少年が乱闘になったとされたときに、「助けてくれ」という声を聞いたという証言はあるが、どちらの叫び声だったのかは判然としていない。

6人からなる陪審員は全員女性で16時間20分かけて評決に至った。
陪審員を批判する気はないが、アメリカの裁判では裁判自体よりも陪審員選びの方が重要だと言われることがある。
検察側も弁護側も候補者の経歴をすべて洗って、自分たちに有利な判断をしそうな人間を選ぼうとするからである。
いずれにせよ、少年は殺され、ジマーマンは自由の身となった。

ワシントンポストの速報にアメリカ人は様々な反応を示している。
O.J.シンプソンの事件を持ち出し、あれはなんだったんだという見当違いの主張をするもの。
無罪判決に憤るもの。
人種差別による判決であると断定するもの。
当然の判決と受け止めているもの。
さらにそれぞれが微妙に違った主張を書き込んでいる。

私はアメリカに何年も住んだことがないので、こういう事件に対してどう心持ちを整理すればいいのかよくわからないが、個人的には警官の制止を無視し、全く武器を持たない少年を撃ち殺すことに正義があるとはとても思えない。
州によって違いがあるが一般的に南部では「正当防衛」が我々にはとても受け止められないほど過剰に保証されている。

アメリカにいる友人から、「アメリカでは大変な騒ぎになっている」と連絡があった。
各地でデモも行われている。
このような人種差別を臭わせる判断にはアメリカ人は敏感に反応する。
こういう輪が広がり、大きなうねりになることを羨ましく思う。
銃規制は現在のところとてもうまくいきそうな様子はないが、依然強い規制賛成派がいることは事実である。

個人の思うところを表現できるところはさすがだ、と一瞬記事を読みながら感動したが、よく考えてみれば、そんなにお気楽な国ではなかったことに思い当たる。
本当にプライバシーが守られ、表現の自由は保障されているか?

いずれにせよ、このような事件は今後も起こりうると考えた方が自然かもしれないと漠然と考える。
もちろん銃乱射事件も然りである。