「すっぱい」の違い

先週、京の漬物セットが届いた。
毎年、やんごとなきお方からいただいている。
本当は送り返したいくらい心苦しいのだが、それも失礼なのでそのままいただいている。
ありがとうございます。

私は漬物好きである。
漬物だけでごはん何杯でもいけるわけがない。主として酒のつまみにいただく。
そういえば済州島で買ってきたキムチは日本じゃ絶対に手に入らないというくらいうまい。実際日本であんなにうまいキムチはお店でも食べたことがない。こちらのキムチはごはん何杯でもいける。

しかし、ごはん何杯でもいけるから偉いというわけでもなかろう。
やはり京の漬物には涼がある。

「おっと、こいつはいけねえ、柴漬だけでもう徳利一本空けちまったよ」
「いいじゃねえか、夏の酒にはこいつが一番だ。かまいやしねえ。今日はもうこの二升をたんまりある漬物で空けちまおう」
と粋な学生二人が台風を眺めながら、本当に二升空けてしまったことがある。
不思議なもんで、盛り上がってゆっくりやっていると気持ちが悪くなることもなく、飲めてしまう。

若干の嘘があるのは、上記の会話が江戸弁ではなく、下関弁だったことかな。

そのくらい、どれだけすっぱくても漬物は大好き。
町の中華食堂の餃子用の酢もいいな。あれあまりすっぱくないでしょ。水で薄めてんだろうか。うまい餃子だとラー油と酢だけで醤油入れなくても平気だぜ。

そろそろお気付きの方がいらっしゃるかもしれないが、私は基本的にすっぱいものがダメである。
梅干のおにぎり?誰が食べんの?
グレープフルーツ?甘いって言ったじゃない。どうしてくれんだよ、この顔、ってくらいチューするときの口になってしまう。

大昔、ラジオの生放送で「ブルーベリーはすっぱくて、あまり得意じゃないんだよね」と言ったら、ディレクターが顔色変えて、ヘッドフォンに「大倉さん、それ大間違い。すっぱくない。甘いから。言い直して」と怒鳴り声を送り込んできたことがあった。大量のファックス、メールでブルーベリーはすっぱくないと、大倉の「間違い」を指摘された。

しかしさー、すっぱい、すっぱくないって味覚の問題じゃん。
俺はさー、ちゃんとブルーベリー食ったことあるんだよ。キャー、すっぱいと感じて何度か挑戦したけどダメだったんだよ。「すっぱくない。甘い」と断言されてもねえ。
「ぜんっぜんすっぱくないから食べてみて」と様々なものを強要されて涙目になったことが何度もあるんだよ。

私はすっぱいものが本当に苦手。

ところが柴漬のような漬物は全く問題ない。いくらでもバリバリ食べられる。やっぱり柴漬は柔らかいのはいけねえ、しっかりとした歯ごたえがあって、噛むと胡桃を割ったときのような音がしなきゃ。キュキュでも嫌だな。フニャとするような奴だと食わない。

そんな感じでバリバリ柴漬を食っていたら、妻がなんだこの野郎、という顔で睨んでいる。
「すっぱいものは食べられないって言ってて、なんで柴漬バリバリ食べてるのかさっぱりわからん」
そういえば柴漬はすっぱいものに分類されるな。何でだろう。おいしいじゃん。
妻はすっぱいものは平気である。そんなものよく食えんな、というすっぱいものを貪り食う。妊婦じゃあるまいし。

その妻が言うのである。
「あたしは柴漬はすっぱくてすっぱくてどうしても食べられない」
あら、どうしてかしら。こんなおいしいもの。

柴漬けおいしいけど、グレープフルーツはすっぱくてダメだよ私は。同じタイプのすっぱさだと思うんだけど、食べ物ですっぱいが逆転している。

世の中、身の回りに不思議が転がっている。

もしかして年とって味覚が狂ったかな。
いや昔から柴漬は食ってたな。

リトマス試験紙で試してみたらわかるかしら?
私は相変わらずこういうことをじっくり調べようという気にならないのだが、なんとなくグルタミン酸ナトリウムのありなしの差ではないかと推測している。
何の根拠も無いので絶対に引用しないで欲しい。

済州島は様々な蜜柑類が大変豊かなところで、どこに行っても蜜柑の山。実は私、蜜柑類はいつのころからか甘くても苦手である。