オリンピック病

おかしなことになってしまった。
頑張って日本柔道のすがすがしさだけは応援しようと思っていたのだが、体操だ、サッカーだ、水泳だ、卓球だって出てくるじゃん。驚いたことにこれをみんな見ている私がいる。
もともと朝が早い人間で6時には起きて、6時半くらいから仕事したり、ブログを書いていたのだが、オリンピックが始まってから、朝起きられない。
深夜までテレビの前から離れられないせいだ。

このブログを読んでいただいている皆様、そのような事情でアップが昼前になったりしています。明日からはそのようなことのないよう、しっかりやりますから、なんて約束できるわけがない。
オリンピック終わんないんだもん。

「全然興味ないんだよ」って胸張って、「俺は変わってるんだよ」と偏屈なオヤジを気取っていたのだが、どうなっちゃったんだろう。

今でも「ニッポン、ニッポン」という雄叫びはなんだか嫌だなあ、と思うし、日本だけじゃなくて体操のときのイギリス人の狂乱が典型的だが、観客が自国の選手にばかり旗振っているのも気持ち悪い。私も日本人で日本選手が勝てばよかったな、負ければ残念だと思うが、選手の皆さんには日本の威信だなんだかんだは忘れて、ご自身たちがこれまで努力されてきたことを精一杯発揮していただければ私はそれでもいたく感動しますよ。

柔道でもへっぴり腰の組み手は「こら!」と声かけて、払い腰を食らわせたくなるが、勝ったり負けたりして、喜んだり、悲しんでいる姿はどこの国の選手も美しいですよ。
金メダルは選手の誇りであろうが、金メダルは一競技一個しかないのよ。あとは意味がないじゃ、それこそオリンピックなんてやっている意味がない。金メダルを目指して競い合うことに意味があるんですよね。一回戦で負けていく選手も含めてオリンピックという寝ないで見ちゃう素晴らしいイベントが成立しているんじゃないすか。

いくら頑張っても結果がついてこないことなんて、私の人生そればっかだ。
それでも結構楽しく生きている。
国別に選手枠があるから、日本なんて関係ない、とは言えないだろうが、自分のために全力を尽くしていただけたらと思う次第であります。

スポーツ選手は全員がすがすがしく、スポーツマンシップに基づいて行動しているなんて幻想は抱いていないけど、競技をしている選手たちはみんな美しい。輝いて見える。
なんでもそうなんだけど、必死に何かに打ち込んでいる姿は心を打つよ。

彼らの肉体表現は身体性の極みにあるわけだ。
身体性を感じない小説、映画、ニュースには私はリアリティを感じない。
私は運動は苦手なんで、歩いたり写真を撮ったりすることで、そこを何とか担保したいと考えているが、どうでしょう。身体性感じますか。

昨日、30年近く一緒に酒を飲んでいる友人が、「ずっと泳げなかったんだけど、教えてくれる人ができて、最低でも週3回は泳いでる」と話すのを聞いて、このところオリンピック病に罹り、一切プールに行く気がしない私はつくづくダメ野郎だと思い知った。「仕事もすごくしている」と胸を張って言うので、バーのお姉さんも「大倉さんも若く見えるけど、内田さんは全然そんな歳には見えない」と驚いていた。

少しどうにかしなきゃだ。

ラオスからも今回のオリンピックに3選手が出場している。
雲南省まで数十キロの場所にあるムアンシンで、灼熱のアスファルト道路を自転車で何かを運んでいるおじさんには身体性を感じたな。私はカメラ2台ぶら下げてひたすら歩いていたので、おじさんより過酷な体験をした。