かぞくのくに

スカッとしたという映画ではありませんので、そのようなことを期待されて見に行き「大倉にはがっかり」と文句言われても困ります。
何が解決されるわけでもなく、この映画見て、私も何かしなきゃと決意を新たにできる映画でもない。でも、必見。

70年代の帰国事業で北朝鮮に移住した兄、残ったその他家族の物語。なぜ家族全員で帰らずに兄一人だけ帰したのかは映画の中では明らかにされないが、父親が朝鮮総連幹部であったため誰かは帰さなければ、という重圧の中の決断ではなかったのかと思われる。

その兄が病気治療のために帰ってくるのだが、うーん、という圧倒的に重苦しい空気の中で物語りは進行する。

帰国事業は総連だけが推し進めたものではなく、社会党共産党自民党にも強くバックアップする議員がいて、マスコミも「人道的」事業ととらえ強く推進を促した。
ただ、朝鮮併合以来、強制連行だけではなく、日本に移り住んだ人には様々な理由があり、当然日本に残る決断をした北朝鮮籍の人も多かった。

少なくとも「地上の楽園」に向かう人には、映画で見たり、小説で読んだりする限り、不安の影はなく、生まれ住んだ日本を離れる淋しさはあっただろうが、笑顔が耐えない。「帰国」した人々の生活も様々で、大変辛い思いをした話は多く聞くが、この映画に出てくる兄のように、日本での病気治療を許される人もいるわけで、一言では語れるものではないだろう。

しかし、この兄は寡黙である。何も話せない。家族が向こうにいて、「随行員」が常に張り付いている。しかし、この随行員でさえ複雑な感情を心に抱いている。
この随行員役を「息もできない」というこの数年で私に最も強い衝撃を与えた映画の監督、脚本、主演をこなしたヤン・イクチュンが演じている。

私の母親は平壌生まれである。10歳まで向こうで暮らしている。
祖父が教員であったため、平壌日本人学校に赴任したらしい。存命中にもっと詳しく話を聞いておけばよかったと悔やむが、もうそのあたりのいきさつについてはよくわからなくなってしまった。
母親は全くボケてはいないが、昔のことはキレイに忘れるという特技を持っており、かつての平壌の様子をいくら聞いても、「なーんにも覚えてない」らしく、要領を得ない。

何か教えてくれと具体的につめよると、日本人居住地は完全に朝鮮人の住む場所から隔絶されていたらしく、学校も含めて別の生活圏を形成していたようである。従って朝鮮人の友人もできなかったという。ひとつだけ忘れられないのは、毎年キムチを漬けてくれる朝鮮人のおばさんが来てくれて、人がすっぽりと入ってしまうような大きなかめにぎっしりキムチを作ってくれ、それを地中に埋めていたことらしい。
食事は毎日日本食なのに、キムチだけは毎日そのかめから出してきて食べていたらしい。「おいしくて、おいしくて、本当に毎日食べていた」と話す。

そんなことしか覚えていないので、「平壌に行ってみたいか」と聞いても「何がなんだか分からないだろうから、あんまり考えたことがない」らしい。

母親は1942年に日本に帰ってきている、というべきか、生まれたのは向こうだから移住してきたというほうが正しいかもしれない。
日本では畑仕事をしている時に米軍から機銃掃射を受けたこともあるらしく、これもいい思い出ではないだろう。

母親の「帰国」は「日本人居住地」から、ただ親に連れられてきただけであるから「帰国事業」とはとても比べられない。
母親のように「何にも覚えていない」のであれば、行ってみたいとも思わなくて当然なのだろうが、この映画の主人公「兄」ソンホの心中は計り知れない。先週の「平清盛」で亡くなった崇徳上皇井浦新がソンホを深く演じている。

ヤン・ヨンヒが監督した日本映画である。
明日公開。