読者激増計画

悩んでいる。
それも仕方ないだろう。今年ブログを始めて、毎日毎日風邪っぽい日も、風が吹く日も、二日酔いの日も、下痢の日も欠かさず書き続けていたのに、読者数が私のイメージしていたグラフのように伸びていかない。
私の算数では今頃は読者数は無限大にまで拡大し制御不能なはずなのに、ある数字から上下動するだけでそのような事態に陥ってはいない。ある数字は秘密ね。当初の読者数から倍くらいにはなりました。

書き始めてすぐは、また馬鹿がおかしなこと思いついた、と知り合いが数日は読んでくれていたようだが、まさか毎日書き続けるとは思っていなかったのではないかな。新聞じゃないんだからそんなに読んでらんないっつーの。最初はお付き合いで読んでいたが、あまりの馬鹿馬鹿しさにやめたという人が大勢いるな。隠していても私には分かる。

「暇な奴はいいな、好きなことやってられて」というひがみもあるかな。ないなあ。暇な奴にひがみを感じるほど暇な人は世の中にはいない。
思い出したが、こっちは好きなことをやってはいるが、暇が好きなわけじゃない。たまたま暇なだけだ。
いやいや、今、今日、ここ2週間暇なだけで、それまでは忙しかったんだった。忘れてた。
暇になると忙しかったときのことを忘れてしまう。
フリーランス病だな。

そんなわけで、1月初めに読んでいてくれた人でいまだに読んでいる人はもういないんじゃないかしら。みんなどこへ行った?コメント欄もつけていないので、読者の変化がさっぱりわからない。
なんとなくであるが、毎日読んでいます、と言いながらも数日間放っておいて、まとめ読みをしている人もいそうな気がする。読んでない記事もあるな。
そうすると、毎日これこれの数の方が読まれています、という数字は全読者数とは一致しない。
毎日出てくる数字に3を掛ければいいくらいかな、2?1.3?

一度原点に戻ってみよう。
何故ブログを書き始めたんだっけ。
えーっと、メディアが溶け始めていることをこの数年感じていたけど、去年あたりからはもう既存メディアに接しているだけでは世の中の動きについていけないと思ったんだっけな。
でも、必ずしも世の中の動きを監視しようとも思ってなかったんじゃないかしら。
私はそもそもそのたぐいの情報には溺れるくらいに浸かっていて、これ以上取り込んでも、吐き出さないと自家中毒に陥ると思ったんじゃなかったかな。
そうだった、食ったら出す、という基本に戻ろうとしたんだった。

で、匿名じゃなくて名前を出して、テーマなしで吐き出すことにしたんだった。
そうなると、読者数なんか関係ないじゃん。
というのはやっぱり建前で、書いたら誰か読んでくれよと決して口には出さないが、仏様に祈ったんだった。と言いながらも知り合いにブログ始めたから読んでね、と一大告知を行ったんだった。

なんだか、全てが矛盾してない?
私は何がしたいんでしょう。
私は誰?とまでは悩んでいないけど、毎日何やってんだっけか。

何で書いてんの?と小説家に聞いてみたかったことがある。
酔っ払って赤江瀑さんに聞いてみたことがある。
なんかクソ生意気な言葉を使って、調子こいちゃった気がするなあ。
瀑さんは一言も答えてくれなかった。
答えてくれなくて良かった。
答えてくれていたら、雑文でさえ一行も書けなくなっていたような気がする。

勘違いしないでいただきたいが、私のブログと赤江瀑の小説を同列においているわけではありません。
ただ、下手でも何でも書くということは身を切るようなことだということはわかっている。

悩みに戻るか。
読者数が大きく増えないのは、読む気にさせていないからだ。
一度読んだら病み付きになりました、という人がいないんだよ。いてもすごい少数派だ。毎日読んでくださっている方、肩身の狭い思いをさせてごめんなさい。

面白くすればいいんだ。
でも書いている私が面白くなかったら意味なくない?
う〜ん。

明日から旅日記ブログ。といっても実家と友人宅なんだけど。
何か変化は現れるでしょうか。
PCがうまく動かない場合は8日間途切れます。
実験だ。
何でもやってみよう。
では、行ってきます。

今、こんな気分。