ヘブリディーズ諸島、ルイス島 その1

どうも日本のことについて書く気がしないので、昔話を3回にわたり連載させていただきます。

スコットランドの中でもかなりの僻地と言われても仕方ないヘブリディース諸島の一番北の大きな島、ルイス島でのことである。まだ私が入社3年目あたり。つまり30年ほど前のこと。地獄を見た。
細かないきさつまで書き始めると小説になるんで、いきなりのところから。

この撮影はグラフィックのみでCMはなかった。
その上極端に経費がない。
そういう場合どうなるかというと当時はメチャクチャである。

私は誰とは書けないが、いずれも大御所のアートディレクター、コピーライター、カメラマン、それにカメラマンのアシスタントだけを連れてロケに行くことになった。
「いいか、金をかけるな。ないんだから」
金がないんだったらやめりゃいいじゃん、という私の実に真っ当な意見にはみんな耳を貸さない。
「得意がそう言ってんだから、行きゃいいんだよ」
部長にケツをガンガン蹴られて、私は代理店の営業兼プロデューサー兼プロダクションマネージャーとなり10日ばかり出かけることになった。

初めての海外ロケ。
ありえない。
おかしいでしょ、広告会社にお勤めの皆さん、わかりますよね。
つまりこれロケに関すること全部私一人でやるということである。私はまだガキだ。
仕方ないのでいつも仕事でお世話になっていたCM制作会社の方に海外ロケのいろはを教えてもらい、小さいけれど面倒な人しかいないロケ隊の代表者となったのである。
ロンドンからコーディネーターには手伝ってもらったが、状況が大きく変わることはなかった。

この後も海外ロケには何度か行ったが、CM中心のロケは代理店の営業の立場で行くのでいい気なもんである。
こちらは地獄を見たことがあったのでチョロイ仕事だと思っていたぜ。

そんなわけで、本当は細々したり、非常に面倒だったりする仕事は一通りできるのだが、自分の会社をやっていたときは、そういうことは何もわからないアホな社長で通していた。
「面倒なことには手を出さない」が私のモットーだったが、好きなことは面倒でもやる人間であることが最近わかった。

そもそも何故そんな誰も知らないルイス島に行くことになったかと言えば、アートディレクター、コピーライター、カメラマンが荒野を撮りたいと言い出したからである。その辺の川沿いでいいじゃん、お金ないんだから、と口にできる雰囲気ではなかった。
「半端じゃない荒野でなきゃダメ。いいとこがあるんだよ、大倉」
お金の心配をしなくてすむ人はいい。

ともあれロンドンからグラスゴーまで飛んで、小さなチャーター機に機材を積んでルイス島のまあ中心地みたいな場所ストーノウェイに降り立った。
飛行機の上から眺めていてわかってはいたのだが、本当の荒野。
本当の荒野には何もない。
一部のみ家のある場所がある。
人が住んでいるところ以外は荒野なのである。
荒野に出れば荒野しかない。
果てしなく荒野である。
そこにはただ風が吹いているだけ、どころではなく、雪、霙が立っていられないほどの横殴り強風に煽られ寒いを通り越して全身しびれっぱなし。

道路はある。
頼りないがルイス島を一周する道路がある。
が、荒野に分け入るには歩くしかない。
一片のぬくもりは羊である。
何を考えているのかさっぱりわからない羊。
村上春樹が好きだと思われる羊。
どこにでもいる。

ここでロケを決行するのである。
まずモデルから集めなければならない。
お金がないので現地の酒場で探すことになった。でも何しろ人が少ないんで港の酒場。
何で港なんだよ。いやんなっちゃうよ。
「大倉、あいつなんかごつくていいんじゃないか」ってスコットランド人はそもそもごついのである。
その中でもごついということはとてつもなくごついのである。
本当に泣きたくなった。
私の体重はその頃まだ65キロくらいであった。
モデルについては私の泣きながらのスカウトと現地の劇団の人間でそろった。
何でこんなところに劇団が、と今でも思う。
誰にどこで見せるんだろう。

ロケハンに二日かかった。
ルイス島を2周はした。
それだけで疲れ果てていた。
会社からルイス島に一軒しかない宿に電話が入った。
「大倉、撮影終わったか?こっちも大変なんですぐ帰ってきてくれ」
「まだ一本も撮ってません」
ふざけた上司がいると苦労しますね、皆さん。

本当に大変だったのはこれから。
その2に続く。

羊は本当に何考えてるんだか分からない。