ルーパー

なんだかあんまり人が入りそうにない映画だな、と思いながらもタイムパラドックス物は必ず見に行く私。

CMでも言っているからここまではいいんだろう。
未来の自分を殺すという話でございます。過去の自分を殺すと現在の自分も存在できないわけだから、殺した瞬間に現在の自分も消えてなくなるけど、未来の自分を殺す分には何の問題もない。ただ、未来の自分は、現在の自分に殺されるまでしか生きられないことがわかっちゃってるところが辛いところでございます。

この映画そのあたりのところがよく出来ていて、矛盾が非常に少ないように思えるのだが、登場人物自身が「それじゃ、おかしいじゃないか」と問い詰められると「そのあたりはとても複雑で、簡単には説明できないんだ」とあっけらかんと禅問答から逃げてしまう。
こっちはこれでいいんじゃないの、と思っていても制作者はここを責められるときついな、と気が付いていたのかしら。

いきなり自分の前に「オレはタイムマシンで未来からやってきたお前だ。一緒に遊ぼうぜ。オレ、お前の好きなこと全部知ってるからさ」と言われたらどうしよう。インドとか一緒に出掛けんのかな。好みのタイプの女性が同じだから、奪い合いの喧嘩になったりするんだろうか。
いやー、自分には会いたくないね。「こいつ最低」とか気が付いても、「オレのことじゃん」なわけだから自己嫌悪しかないもん。

こんなのはどうだろう。
「オレはさんざん未来で何の罪もない人を殺してきた、お前は生きていても仕方ない人間だから、ここで自殺するかオレに殺されるかしろ。そしたらお前も俺もいなくなるんだから世の中平和だ」
「えー、オレはこれまでそんなことしてきたことないよ、これからの俺が悪いだけで善良な今のオレが死ななきゃなんないのはちょっとひどくない」
「じゃ、今から悪いこと少ししてから死ぬか」
「全然したくない。そもそもお前が出てきたからこれからのオレが悪い奴になるんじゃないの」
「そうかもしれないな。オレも未来のオレが出てきてから悪くなっちゃたんだよ、実は」

てなことになると、悩むな。

オレはオレでいられるのか、と自問する映画です。
アカデミーにノミネートされるようなたぐいのものじゃないけど、なかなかいいよ。

「50/50」で初めて気が付いたジョセフ・ゴードン=レヴィットが少し痩せて、昔のエドワード・ノートンに似ていて、私の好みのタイプだ。男だけどいいんだよ。

早めに打ち切られるかもしれないから、急ぎ映画館へ向かっていただきたい。

一緒に過去だか未来の自分とインドに行くと絶対にこの娘さんのことで喧嘩になると思う。