平手打ちを食らう

焼鳥屋にピターンという大きな音が響き渡った。
店内は凍りついたように静まりかえった。

毎日、昨晩はどこで飲みました、っていうのは避けたいのだけど、なんだか面白い事が起きるので書きたくなっちゃう。

渋谷に学生時代から通っている鳥竹という焼鳥屋がある。
ここの特徴は一串に刺してある肉がやたらでかいことで、普通の焼鳥のつもりで頼んでいると大変なことになる。値段も安いので、ついその気になるから気をつけて。

平日であれば6時に行けば、地下の畳敷きの大部屋の隅が確保できる。
狭いところにガンガン人を詰め込むので大変うるさいため、比較的相手の声が聞こえる隅が好ましい。いつもここで飲むときは6時と決めていた。
昨日も土曜だからって状況は変わらないだろうと6時に決めて6時10分前に店に入った。
いつものように「下いい?」と聞くと、「約束してる人?」と妙な事を聞かれて2階に上がれと指示された。「あらーん、どうして2階に?」と疑いつつ上がると、あれま、いた。
「地下が比較的すいてんだよ」
「いや、僕も今来たんですけど、地下も一杯でここしかないって通されたんです」
ゲッ、土曜は平日ではないのであった。当たり前だがその混み具合を見るとすでに5時くらいから調子をあげている人間が多数いたと思われる。
甘かったな。
でも、座れたからまだよかった。話によれば、友人が待っている間にもずいぶん追い返された人がいたらしい。うまい、でかい、安い、早い、の店のことはみんな知ってるのね。

テーブル席はみんな着膨れしているので、トイレに立ったり、出たり入ったりする時に必ず軽くぶつかるが、それもこの店の醍醐味。
国境なき医師団でこの前まで中央アフリカでロジスティックを担当していた友人と楽しく飲んでいた。徐々に盛り上がりつつあった時にそれが起こった。

ピターンとすごくいい音が響き渡ったのである。
お、女が男に平手打ちか?痴情のもつれか?
と、音は私の頭上で鳴っていた。
あらん、ちょっとだけ痛いということは、私のハゲ頭を誰かが引っ叩いた?
毛があるとあんな音でないんだよな。
と見上げれば、真っ青になったオッサンが呆然とした顔で私を見つめている。
私よりも年下なのは一目で分かるが、ちょっと老け顔だよ君。

我に帰った彼は泣きそうな顔をして、すみません、すみません、すみません、すみません、と傷の入ったレコードのように同じ言葉を繰り返し、米搗きバッタみたいに頭を下げている。
隣のテーブルから罵声が飛んでくる。
「何やってんだよ、バカ、こっちだよ」
隣の3人も合わせて「ごめんなさい。すみません」の大合唱。
「こいつ僕の頭だと思って叩いちゃったんです」と私ほど禿げてないオッサンが言い訳するのが少しイラッとしたが、こういうことには鷹揚な私である。
しかし、彼らの懺悔は終わらない。

私は禿げている上、見ようによっては目つきが悪い。目が小さいだけなんだけど。
一緒にいた友人は白髪がたくさん混じっていながらも超ロンゲ。
普通の人間たちではないと思ってしまったようである。

「あはは、いい音したからいいじゃないですか。全然痛くなかったですよ。気にしないでください。100万円でいいよ」じゃなくて、100万円のとこは外して笑いながら、もう謝んなくていいから、と友人と二人でなだめにかかるが、あまりに動揺していて米搗きバッタ状態から回復しない。
どっちが不始末をしでかしたんだかわからなくなってしまった。

一応落ち着いた後も、目が合うと「本当にすみません」と声をかけてくる。
いいからもう。
先に帰って行ったが、最後まで「申し訳ありませんでした」と頭を下げていた。

あんまり謝られると、本当に怖い人なのかと周りのお客からも引かれてしまうようで、そのことのほうが嫌だわ。

でも、本当に凄くいい音がした。
あれでその場にいた人は、ハゲの頭はいい音がすると気が付いてしまった。
今後、あちこちでハゲが同様の被害に遭わないことを祈るばかりである。

ハゲ頭叩きたくなったら桜新町のこいつでお願いします。