日本人が忘れてしまったもの

いつの頃からであろうか、「のんびりした国民性」、「ビルのない都市」、「人懐っこい子供たち」、そんな国を訪ねるテレビ番組では枕詞のように、「私たち日本人は大切なものを置き忘れてきたような気がしてなりません」「日本が忘れてしまった大切なものがここにはあります」とまあ、ナレーターの方がお話になるわけです。
私はその言葉を聞くとすぐにスイッチを切ることにしている。というのは嘘だが、見たとしても眉がベトベトになるまで唾をつけまくる。

まず、その「忘れてしまったもの」は何なんだよ。それは忘れちゃいけないものだったの?そんで、いつの日本の話をしているのか教えてくれよ。
私だって54歳なんだから野原で駆け回っていた頃のことを思い出せば懐かしい。懐かしいが忘れちゃいない。でも、20歳の東京で育った若者に「山で長くて太い木立を見つけてターザンごっこやったろう。楽しいよな」と話をしても「こいつ誰?」という顔をされるだけである。俺なんかスッゲー楽しかったんだけど、それが「忘れてしまったもの」なの?
俺、覚えてるんだけど。

で、いつの日本なのかな。朝鮮併合、中国への侵略が始まった頃かしら。それとも縄文時代あたり?確かに「縄文人はどこへ行った」ってくらいに忘れてるよね。戦国時代、戦に明け暮れて農民がどえらく迷惑したころ?元禄文化が満開となり、金持っている連中がどんちゃん騒ぎに明け暮れたあたりかも。
別に嫌なことを並べ立てているわけでもない。いつの時代にも明暗はあった。
私が言いたいのは視点の置き方でいくらでも時代の評価は変わるということである。

ブータン国王夫妻が来日した時に「忘れてしまった」症候群が特にひどくなったような気がする。
私はブータンファンの第一号と言ってもいいくらいブータンに憧れ、35年くらい前まではどうしても行ってみたい国だった。1958年、日本人で始めてブータンに入った植物学者、中尾佐助氏の「秘境ブータン」を読んだからである。

秘境ブータン (岩波現代文庫)

秘境ブータン (岩波現代文庫)

私はこの本を学生時代、神保町の古本屋で毎日新聞から1959年に発行されたオリジナルを見つけて買った。なんせ、秘境だからね。もう興奮しまくり。
だが、その興奮は長続きせず、行く気を失った。

当時は一部の例外を除いて、限られた団体ツアーしか入れず、しかも毎日数百ドルというお金を使わなければならん、という決まりがあったのである。大学2年の時にインドでお金がなくてもどうにかなる旅を経験した私にはありえない話だった。
現在は個人でも入れるようだが、必ずガイドがついてきてしまう。やはりバックパッカーは入れないし、200ドル以上の金を必ず使わなければならない。外国人の入国を制限し、「悪い」習慣が入り込まないようにしているようである。
行かねえよ。
独立国だからどのような制限を設けてもかまわないが、俺はダメだ。
ブータン国民が幸せでも、私はきっと幸せではない。

GNH(国民総幸福量)を日本も見習おう、という不思議な現象をメディアが煽っているが、その根拠はなんなの。人に幸せは測れるものなの?

ブータンの人口は約70万人。そんな小さな国だが、10万人のネパール系ブータン人は国を追われ、あるいは自発的に国の方針に反発して脱出し難民となっている。大手メディアは国王来日フィーバーの時、一社も報じなかった。
詳しくはこちらを参考に。
http://www.ne.jp/asahi/jun/icons/bhutan/

ブータンでは英語教育が徹底しているらしく、みんながペラペラではなくても、旅行者は全く不自由しないという。200ドル使用規制撤廃バックパッカーOK、安宿あるよ、ということになればいってみたいが、そうなると俺のような汚い連中が押し寄せるんだろうな。確かにそれもちょっとあれかもね。

写真はネパール南部、ジャナクプールの更に田舎でのムハッラムという祭りの様子。南部ネパールでもインド系ネパール人が分離独立を主張する動きがある。