成人式の不思議

私は成人の日を鼻が曲がるくらい臭いトイレのある中野のアパートでむかえた。
1970年代ではまだ中野であっても汲み取り式だったのよ。自室内にトイレありということで、喜んで借りたのだが、大間違いで、夏になるともうトイレに入っただけで目が痛くなるくらいやばいガスが充満していた。
そういう場所に成人式の案内状が来た。何のためらいもなくゴミ箱に投げ入れた。意味がわからなかった。
私が成人したことは親はもしかしたら嬉しかったかもしれないが、全然知らない偉そうな顔をした人間に説教をたれられるのかと思うと寒気すら覚えた。

みんなそう思ってるんだろうと信じていたら、違うのね。スーツ着たり、紋付はかまになったり、振袖着たりして喜んでるみたいじゃん。そもそも、スーツなんか持ってなかったから私は参加したくても参加できなかったわけだ。
それで、皆さん成人される方が、区長や、市長や、知事なんかのお言葉をいただくんだよね。で、みんな、そんな話馬鹿馬鹿しくて聞いちゃいられないってんで、大声で叫んだり、友達とのおしゃべりに高じるわけでしょ。で、親父が怒って、「お前ら、黙って聞け」とか怒りだして椅子ぶん投げて、大乱闘になったりすると面白いんだけど、「君たちは大人としての自覚を持って、静かに聞きなさい」とか言っても無視されて、あー、がっかり、の会になるんでしょ。

出席する成人さんたちは「クラス会みたいだから、いいと思う」と我関せずらしいけど、じゃ、クラス会やれよ。自分の金で。俺が払った住民税でクラス会やるなよ。

自治体も私たちが「成人させてやる」なんて思いあがるんじゃないって。
どうしても何かを話したいなら、街頭で「君たちは」ってやんなさいよ。警察に排除されるかもしれないけど。
みんな成人式とか関係なく、誕生日に勝手に成人するんだから、そのとき、「あー、大人になった」って思わないだろうけど、親はそれなりに感慨深いものがあるんだから、「これまで、お世話になりました。これからは自分でお金稼ぎます。できないときは肩揉みします」って丁寧にお礼を言って、親に涙を流させてみろ。少しは実感湧くから。俺はやんなかったから、反省している。

あるいはイニシエーションとしっかり位置づけて、牛や豚を屠って、生きることの罪深さとありがたさを体験するってのもありかも。

成人する若い方々に期待します。

写真は、カンボジアプノンペン、トンレサップ川沿いにたむろする、これから国を背負っていく若者たち。年賀状に使いました。