私はいかにして困難を克服したか

今はやりの「必殺仕事の極意」みたいなタイトルでしょ。
違うからね。

私は30歳を超えるまで泳げなかった。

泳げない、と告白する勇気かなかったので、「泳げません」とは一言も言わず、豊島園のプールでは回るプールを歩きながら「混んでるねえ」と苦笑してごまかしていた。
18歳で東京に出てきて、こちらで夏の海に行ったことないもんなあ。「まるで芋洗い海岸の様相を呈しています」とニュースで教えてくれても、ビキニのお姉さん方がキャーキャーお騒ぎになっていても、全く興味なし。怖いんだもん。

小中学校にプールなどなく、突然高校になって深ーいプールが出現した時は退学届けを出そうかと思った。出しときゃよかったよ。授業で水泳があるんだぜ。こっちは勉強しに来てんのになんで泳ぐの?勉強全然しなかった私のレゾンデートルをさらに問われる事態である。80メートル泳がないと夏休みは毎日プール特訓と聞かされて、人権侵害だろうと訴えたくなったが、実はその頃、訴えるなんてことは知らない。
80メートルあらゆるインチキを駆使して泳いだように見せたぜ。半ば溺れながら、教師が目を離した隙に、プールの端をつかむという高等テクニックである。絶対に気付かれていないと思ったが、友人は「絶対に気付いとる」と教えてくれた。夏休みに呼び出しを食らわなかったのはお情けだな。名前は忘れたけど、背の低いいい先生でしたよ。ありがとうございます。柔道では数え切れないくらい投げ飛ばされて、いつか落としてやろうと狙っていたけど。
みんな何故あんなに泳げたんだろう。山陰から通ってくる連中は海で泳ぐことしか知らない野蛮人だったから分かるんだけど。

山越えていく学校にプールがあるなんておかしいでしょ。

いかにして泳げるようになったか。
教えたくないけど、教えてあげよう。
33歳からのロンドン駐在時代、会社が近くのジムの会員にしてくれた。簡単なマシン設備と3レーン幅、20メートルのプール、サウナというしょぼいものだったが、もらえるベネフィットはもらうのが信条である。はじめのころは、会員券ほったらかして、泳ごうなんて傲慢なことは思ったことがなかったのだが、太り始めたから困った。このままでは日本に帰国する頃にはすげーデブになってしまう。
生まれて初めて、自ら「泳いでみようかな」と血迷った。水泳パンツだけ持って行って、泳ぐふりをしてみたが、泳げない。泳げるわけないじゃん。もともと泳げないんだから。突然泳げるようになっていたら奇跡でしょ。

それを見ていた同僚が哀れむよな目で「大倉、ゴーグルしたら」と口を出す。
ゴーグルって何よ。相手を見るとオリンピックの選手がつけるめがねみたいなのをいつの間にか装着している。あれはその類の方にしか許されないものだと思っていたのに。
翌日、ゴーグルとついでにシンクロナイズド・スイミングでお嬢さん方がつけている鼻押さえも買った。正式名称は知らない。

それで水に浸かってみたらいきなり泳げた。爆発的に平泳ぎができていた。あらららら、どうして泳げなかったんだろう。目と鼻に水が入るのが怖かったんだな。まるでガキじゃん。
鼻押さえているんで苦しいんだけど、それを我慢すれば全然平気。クロールだって問題無し、と思ったら沈んだ。背泳ぎはできた。色々複雑なもんだ。努力という文字が辞書にない私はそれ以来クロールを練習しようと思ったことがない。25メートルなら息継ぎしなければ泳げるんだけどね。息継ぎすると沈むんですよ。不思議ですね。

鼻押さえをしているおかしな顔の私を見て、常連の婆さんが不思議そうに
「あなた、鼻のそれ何?」
と聞く。
「鼻に水が入らないんだよ」
見りゃ分かるだろ。
理解できないらしく、しばらく私をじっと見ていた。
2ヶ月位で鼻押さえ、はずしました。ときどき水吸い込んで死ぬ思いをしたけど。

以来、現在でも週一度は泳ぎに行っている。
昨日も泳いで、サウナに入って、ビール飲んで、ワイン飲んで、本読んでいたらいつの間にか爆睡していた。疲れるのが困るね。

今では海でも泳ぐよ。