顔面打撲

母親が電話を掛けてきた。
その日会うにあたっての注意事項であった。

「あんたびっくりせんようにね。私、昨日こけた時に顔を打って、腫れあがって、内出血もしとるんでちょっとすごいよ」
「殴り合いの喧嘩したんか」
「そんなことせんよ」
「なんでこけたん」
「よくわからん」
「どこで」
「マンションの一階」
「つまづいたんかね」
「いや、つまづいたんかねえ?つまづいてないと思う。段差もなかったし」
「じゃ、なんで」
「ちょっと向きを変えようとしたら、足がもつれたみたいな気がする」
「もつれたみたいって、普通こけんやろう。脳梗塞かもしれん。病院行ったか?」
「いやいや、そんな大げさなことやない」
「顔を打ったって、顔から倒れたん?」
「そう」
「普通、倒れる時は先に手が出るやろ」
「両手に荷物持っとったけーねー」
「あー、そうかね」

全然「あー、そうかね」どころの事態ではないのだが、本人舌がもつれている風もなく、いたって会話はスムーズ。どうも血管がつまったということではなさそうで、単純に両手にぶら下げていた食料とワインを守ろうとして、顔面で受身を取った様子。俺にはまねできんなあ。いや、誰にもまねできんだろう。
食料を守ろうとして、顔を犠牲にするとはさすが戦争経験者である。

「骨は折れてないかね」
「もう、痛くないけー、折れとらん」
「老人は痛まんのと違うか?」
「人をバカにするな、顔洗う時に切り傷が少し痛い」

骨粗しょう症と診断されているはずなんだが、丈夫なもんだわ。
感心している場面ではなく、心配するべきなんだが、どうも電話からその切迫感が伝わらない。

「ふらついたり、頭が痛いようやったら、病院に連れていくど」
「全然大丈夫。ただ、あんたがびっくりするやろうと思ったけー、電話しただけ」

一抹の不安を残して夕方母親に会ったら、顔の左半分が腫れて、かなりの内出血により、青タンで覆われている。これ本当に大丈夫なんだろうか。駅から一緒に来た妹に尋ねてみた。

「本当に折れてないんやろうか」
「折れとったら、痛いけー、折れとらん」

太っ腹な女子たち。

「あんた、この前のブログであたしのこと『80越えた』って書いとったけど、私はまだ79歳です。明日が誕生日で80になります」
「お兄ちゃん、そのくらいちゃんと覚えとかんといけんよ」

話がすごくずれてきているが、お恥ずかしい。

食事の時に酒を飲むというので、止めといた方がいいんじゃないか、とやんわり注意したのだが、日本酒をスイー、と空けてしまった。物欲しそうにグラスを持っている。もしかしたら俺は世界一の親不孝もんか、と悩みながら注いでやったら、すいすいいい調子である。何杯か飲んで、気持ちよさそうに帰って行った。

昨日が母親の80歳の誕生日であった。こんなところで書くようなことではないが、そんな事件があったので、あえて言わせていただきます。

お誕生日おめでとうございます。いつまでもお元気でいてください。

今日になって大変なことになっているかもしれないので、これから電話してみよう。

上の写真はネパール、カトマンズ、ダルバール・スクェアで喜捨を強要するサドゥ。
下はインド、ベナレスで祭りに見入る爺さん。
多分二人とも私の母親より年下だと思う。