I HATE CHRISTMAS

1月が終わろうとしているのにボケたこと書いてんじゃねえよ。
私もそう思います。
ただ、ちょっとへーって感じた記事を読んだもんで。

アメリカでは2008年あたりから「I Hate Christmas」運動というのが始まったらしい。
どうもこの運動、とらえどころがなくて、調べていると3つくらいに分類できそう。

1.みんなが浮かれてんのに、俺は一人でクソ面白くもない、というのをシャレで嫌いだと言ってやる。
これは昨今の日本でも、「えー!クリスマス誰もいないんで一人で過ごしますー」という女子が増えている印象があることと重なりますね。

2.キリストが生まれた日でもないのに何で騒ぐ。
ごもっともな話で、そもそもだーれもクリスマスにキリストが生まれたとは書いていない。新約聖書にもその記述はない。いつからそんなことにして、「聖なる日」になったのかは不明である。「キリスト降誕を記念する祝日」と回りくどい言い方をしている文献もあるが、では何故、12月25日なのかはよくわからない。

3.アメリカの大量消費文化に愛想を尽かした。
クリスマスに膨大な必要とされていないものを買いあさり、プレゼントの山に一時的に喜び、すぐに捨ててしまう馬鹿さ加減に自国民ながらあきれかえった。生活全般を見直すべき。

3は「質素を旨とす」の日本人じゃなくて、私個人的にはすごくよく理解できます。質素じゃなきゃ暮らしていけない、ということもあるんだけど。

アメリカの話をまず終わらせとこう。

強硬派は一切クリスマス関係のものを無視するらしい。ツリーもカードもなし。歌わない、はしゃがない。もちろんサンタなんかもってのほか。

そうでもなくて、「大量消費は嫌だけど、いいことをしたいわ」的な人たちは慈善団体に寄付をして、「あなたの名前でここにこれだけ寄付をしました」というカードを親しい人に送る。これ、もらって嬉しいかどうかは人それぞれだな。

もうひとつ分かりにくいのは「アメリカ製品を買おうと絶叫する」「プレゼントにレシートを入れておくから、気に入らなかったら交換に行ってね」「ギフトカードを送る」という類の少し斜めにしてみました的な発想。何かしないと罪悪感でも感じるのか。

さて、私の話であるが、クリスマスが好きでも嫌いでも、もう大量生産、大量消費はええやん。この辺でやめとこうや、が一番胸に落ちる。
もともと私は本、CD、食料以外にお金を使う習慣がない。現実には本やCDを買っているのだから物欲がないとはとてもいえないのだが、必要最小限のものさえあればいい。例えば腕時計はもらい物しかない。たくさん企業名入りの安そうな時計が転がっている。iPODiPHONEiPAD、欲しいと思ったこともないし、なしでとても楽しく暮らしている。「大人のこだわり」みたいな週刊誌に載っているものに欲望を感じない。
着るものは何十年でも着る。穴が開いて、繕っても繕っても拡大の一途となってしまったシャツ、ジーパンには、長らくお世話になりましたと手を合わせて、雑巾になってもらう。
不便感じないなあ。

ずいぶん前だが川上卓也の「貧乏神髄」を見つけた。これぞ理想と思ったね。

貧乏神髄

貧乏神髄

この人、まだ貧乏を貫いて、貧乏道についての本を出している。

そんなことを思い出していたら、この本が出た。マーク・ボイルの「ぼくはお金を使わずに生きることにした」。この人はイギリス人。

ぼくはお金を使わずに生きることにした

ぼくはお金を使わずに生きることにした

ドイツ人も頑張っている。ハイデマリー・シュバルマーさん15年間お金を手放し、仕事を手放し、家を手放し、幸せに暮らしている。2冊本を書き、ドキュメンタリー映画も撮らせているが、入ってきたお金はすべて寄付しているとのこと。

絶対まねはできないんだけど、これはありだと思う。

日本でもお金は使うが、必要ないものは一切買わないという若い友人も多い。
社会的環境からそういうライフスタイルが生み出されてきたのかもしれないが、新しい幸せがありそうに思える。

「そんなことでは日本は沈んでしまう」とお怒りの方々も多いと思うが、まあ人それぞれで。
みんなブータン、幸せの国だと思ったんでしょ。

ラオス、ムアンシンの結婚式で昼間から大酔っ払いで幸せの絶頂のおばさま。みょうちくりんな踊りに私を連れ込もうと必死だった。お金は持ってなさそうに見えた。