ブログのデトックス効果

先日、以前勤めていていた会社の大先輩がご馳走をしてくれるというので、いそいそ出かけて行った。
私、物欲はないんだが、食欲はあるんです。
部屋に通されると、7年間ロンドンに一緒にいて私のすべてを知り尽くしている友人とすでに一杯始めていた。

「お!ブログの大先生。もう始めちゃったよ」
またいじられる。
クリエイティブに君臨していた方からそんなことを言われるゆえんはない。
帰ろうかと思ったら、
「大倉のブログ読んでるよ。文章うまいよね。あれだけ書けるんだったら、小説が書けるよ」
危ない。これに乗ってはならない。
「いや、俺は正直だから小説書けないのよ」
「文章って書いた時にすで嘘になってるんだよ」
この人のレトリックには人をその気にさせる説得力がある。
「でもさ、重いよね。思いっきり吐き出したいことをぶつけてるって感じで」
ほら。
「もう少し、軽いタッチにしたほうが読み手には優しいんじゃない?大倉、読み手のこと考えてる?」
こうやって私はこの方にずいぶん可愛がっていただいた。
相撲部屋の「可愛がり」に少し似ている。

しかし、当たっていた。まだ書き始めて11日目なのによく言い当てている。

私はブログを始めるにあたって崇高な志を抱いていたわけではない。
既存メディアがドロドロに溶けていく中、FBだのツイッターだの私が全く使いこなせないコミュニケーションツールが主流になっていっているのに、何もしていない私の心の奥深くに真っ黒なドロドロの気持ちの悪いものが溜まっていっていた。
口に入れたものは消化して、カスを出す。お通じは極めて良いので、そこに心配はないのだが、頭に突っ込んださまざまなものが、知らないうちに脳だか、肝だかに沈殿していた。
わかってんだよ。
とにかく吐き出したかったの。
まず吐き出さなきゃで始めたの。
そういうコンテクストで考えると、これまで私が「便所の落書き」と思っていたものと何ら変わりがない。
私流の便所の落書き
だから、「迷走」なのだよ。

「よく毎日書けるね」と気に掛けてくださる方がいるが、実は全く苦でない。朝起きて、歯を磨き、顔を洗うとすでにPCが使える状態になっているので、すぐに書き始める。起承転結を考えない。そもそもあまり信じていない。
だ、か、ら、読んでくださる方が一向に増えないのである。
毎日、あるいは数日置きに読んでくださる皆様心から感謝しております。

しかし、あれだなあ、ドロドロのものを吐き出すと、「これは面白い!」と膝を叩いていただけるものが書けるようになるんだろうか。もう一ヶ月間吐き続けているんだけどなあ。

なんだか、すらすら書いているうちはダメな気がする。

だらだらと私らしい対象を見定めない愚痴を並べてきたが、ひとつこの一ヶ月で気がついたことがある。
気持ちが落ち着いてきている。
朝の一時間弱の時間でデトックスしているらしい。
前向きの捉え方もあるんだよ。

さらに、しかし、万が一小説を書こうと思った時にすっかりデトックスが終わっていたらどうしよう。
小説ってそもそも毒を吐くものじゃなかったか。

とにかく31日間1日も休まず書いた。
休む気は全然ないのだが、PCの使えない環境にいることが今後あるかもしれない。そのときは許してね。あるいは読まなくてすむから、楽チンかしら。

例えば下の写真、ラオスのルアンナムター。今はアジア各地、ほとんどどこにでもネットカフェがあるんだが、それがなかったり、常時停電だったり、日本語環境が入ってなかったりで全く日本から孤絶してしまうことがある。ここルアンナムターには全くどこにも何にも通信手段がなかった。