一貫しないという一貫性

40歳の時にいきなり会社を辞めて、2年近くフーテンをやったあとJ-WAVEで一年間毎朝6時から9時までナビゲーターをやって、またフーテン。そのあと事情があり広告会社を作ることになった。

そのあたりの私の行動様式を眺めていて、「一貫性のない人生」と喝破した友人の放った言葉がまた今よみがえる。まだその方はロンドンの田舎に優雅に住んでいるんだよ。羨ましいね。

「一貫性のない人生」といわれた時には膝を打って、「その通り」と喜んだ。考えてみれば喜ぶことではなかったんだが、病気と同じで「それは君、痔だよ」と医者に診断されると、「ああ、そうか、痔だったんだ」と安心するのに似ている。

私は一貫性のない人生を選んだ、というと偉そうで、たまたまそうなってしまっただけなのであるが、楽でいい。「私はこういう人間なんだから、こうしなくては」って強迫観念が一切ないんだから。
昔はやった会社員が体験させられるへんちくりんな「地獄の特訓」という意味不明の訓練を扱ったドキュメンタリー見て、こりゃイカン、俺はこんなことになったら会社辞めよう、と誓ったのだが、そんな訓練やらされないのに辞めちゃったもんね。

なんか例えが違ってるなあ。

ともあれ、この仕事が天職だと思わないのが私の生きるコツである。
先日、杏さんが出ていた「キルトの家」を見ていたら、山崎努演じるフーテン爺さんが「我慢しない人生だったんですよ」と若い者に言われて「そうか、そうだったんだ。何故そんな簡単なことに気がつかなかったんだろう」と感極まっていた。
私はそのロンドンの友人に早くから指摘されていたので、苦しまなくてすんだ。

ひとつの仕事に人生をかけて取り組んでいる人は、立派だと思う。素直に思う。
私のような生き方は危険だと思う。
でも、そういうのもあるんだよ。

このブログを始めて2ヶ月がたった。一日も休まず書き続けている。
何故書いているのか分からないが、楽しいので続けている。何故楽しいのかはそのうち分かるかもしれないし、分からないかもしれない。
まあ、そんなことで。

しかし、自分でも困るのは60日間、何をどこに書いたのかわからなくなってしまった。
ここに一貫性のなさが私の性格に起因していることが読み取れる。
いきなり思い立ってはじめたのでシステムを全く飲み込んでいなかったのね。
「タグ付けしないとダメですよー」と教えられたのに、妙に忙しくてまだ全く手についていない。
一貫性がないから楽だと書いたが、暇だとは書いていない。
これはこれで結構忙しかったりするから不思議だねえ。

一日だけタグ付けしていればすむ話なんだから、どこかで根性入れなきゃ。
最近、なんとなく読んでくださっている方、前に書いた物も面白いよー。
タグ付けしたらズブズブの世界にはまってみてね。
さらに一貫していないことがよくわかるから。

17年前のマカオの路地。すげー迷った。楽しかったんだけど。