言うだけ番長

古いニュースでどうも詳細が分からないのだが、産経新聞が前原政調会長を揶揄して繰り返し書いたことを聞いたときは、「うまいこと書くなあ」と思った。前原氏をバカにしまくっているのだが、それは新聞各社の自由である。好きになっちゃうのも自由だし。

マスコミに公平性などという、意味不明のものを求めてはいけない。視点が変われば真実さえ変わってしまう。「真実」という言葉自体何を指すのか不明である。それは歴史と同様である。「ダレダレがどこで死んだ」という事実はあっても、その死が意味するところは、歴史家によっていかようにも解釈される。

だから歴史を信じるな、ということではない。
簡単に書いてあることを信じるなと言っているだけである。

「今」を報道しているマスコミ、ジャーナリストについても同じである。
「本当のことしか書いていない」「本当のことしか映していない」と信じるほうがおかしい。そう思っていると、自分なりの「真実」が形作られてくる。

「運命の人」の中で総理が新聞記者は事実を報道しないから嫌いだ、と発言し頭にきた新聞記者が全員退出し、テレビカメラの前だけで話し続けたことは本当にあった話。実際は佐藤栄作首相。

あれをガキのころ変な話だと思っていたが、今考えるとテレビも出て行かなくてよかったんだろうか、と疑問を持ってしまう。
「俺たちテレビは本当のことしか報道していないからいいんだもーん」か「我々が報道しないでどうする」という使命感を持っていたのかは不明だが、あの独演会をえんえん映し続けたのは私には異常に思える。
当時ノーベル平和賞を狙っていたのに、沖縄密約事件で叩かれまくって、頭にきたのだろうが、あれこそ「歴史的」な大愚行である。

権力をもっている人間は、批判されることをはなから覚悟していなければ政治家になっちゃイカンのじゃないの。

前原氏が会見で産経記者を見つけ、イチャモンつけて出て行ったときはこいつはホンマモンのアホだと確信した。「事実と異なった報道をやめろ」と産経記者に迫ったらしいが、記者は「言うだけ番長」というニックネームをつけたが、報道の中身は彼らなりに「真実」と信じて書いているはずである。
「事実と異なった報道」と迫るのであれば、どれが「事実と異なった報道」であることを指摘しないと記者は「事実」と思って書いてんだから、私どもからすれば「???」である。
ただ「お前ふざけんなよ」と怒っているのであれば「言うだけ番長」のニックネームに腹を立てているだけだろう。

政治家も人間だから腹も立つであろう。腹を立てればいいじゃん。トイレの中とかで。

会見から産経新聞を排除したのは佐藤栄作の愚行に匹敵する大事件である。もっと他のマスコミも「知る権利」を打ち出して非難したほうがいいんじゃなかったの?最近は報道されないが「出禁」が乱発されているらしいので、もう慣れたのかね。

私は個人的には前原氏について、産経の書く「言うだけ番長」的言動が目に余ると考えております。

これやっぱりおかしいでしょう。まあ見てみて。