風邪とあんみつ

風邪をひいていた。
気が付かれないようにしていましたが、おわかりになりましたか?
わかるわけありませんね。

1週間前に泳ぎに言った翌日からノドチンコの横っちょ当りに鈍痛があったので、毎日葛根湯を飲んでお祈りしていた。意外にも全然効き目がなくて、全身の関節がギリギリ痛み始めたのが3日前くらい。こういうときは微熱が出ている。熱を測ってみると37度もある。
普段は36度あるかどうかなので、いい感じで病気感が出てきている、と思う方が少し、残りの方はそんなもんほっとけ的に無視をされることであろう。

それが違うんですよ。
聞いてくださいな。
私は37度に一番弱い。風邪の複雑に変化する過程の中で最も辛いのに同情してもらえない時期である。38度くらいになると関節の痛みが消えて、ボーっとしてきてアルコール消毒のためのビールがすごくうまくなる。
まだ、会社をやっていた頃の話。37度くらいから会社を休んじゃおうかなモードだが、そうはいかないことが多くてお勤めしていたが、そうすると38度になる。

そうなりゃこっちのもんで、堂々とベッドに横になり枕の横に本を積んで、読んでは寝る、飯を少しだけ食って寝る。また本を読む。至福でしょう。
会社に電話すると誰もいない。私の会社は10時からだったんだけど、みんな朝まで仕事をしていたので誰も出ない。総務・経理の社員まで来ない。11時くらいにようやく休むことを伝えるのだが、風邪をひくと必ず喉をやられるので、誰だか分からないくらいひどい声になっている。

「あー、風邪引いた」
「すごい声になってるけど、大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「休んだほうがいいよ」
そのつもりで電話してんだよ。
「そうするわ」
「○○来たら、電話させてくれ」
「させるけど、寝てた方がいいよ」
で、電話がかかってくれば
「おっちゃんすごい声だよ」

ちなみに私は社長だったのだが、女性社員からはおっちゃんと呼ばれていた。会社を解散した現在でも彼女たちからはおっちゃんと呼ばれている。どうも社長だと理解できていなかったか、本当にただのおっちゃんがなぜか会社にいると思っていたような気がする。
千石イエスになったような気分だった。
どんどんずれるが、一人は昔から知っていたため、会社を始めたころは「大倉ちゃん」とみんなの前で呼んでいた。土下座してそれだけはやめてもらった。

そんなわけで割れた声の強みで、2日くらい寝て、元気一杯で復帰していた。

会社を畳んでからはいつ風邪をひこうがかまわない、と思っていたんだけど、ラジオで話すに当り、もともと滑舌が悪いのにそれ以上酷いことになると、人様に聞かせられなくなる。従って風邪には会社をやっていたとき以上に気を使うようになった。
気を使うと何とか声には出なくできるものなんだな。これが。
うまく切り抜けました。

もう本調子に近いのだが、本日は予備日。
私は土曜、日曜のほうが自宅に籠もって仕事をしていることが多い。
だから、予備日でいいの。今日まで寝て本読んで、明日からの仕事に備えます。

あんみつの話しなきゃ。

中学生当りから甘いもは一切口にしなくなったが、小学生までは指を舐めて砂糖壷に突っ込み、幸せを味わっていた。

で、不思議なことに風邪をひくと普段下関あたりじゃめったに口にすることのないあんみつを食べたくなっていた。
母親に自覚症状がない時に「あんみつ食べたい」と訴えると、熱を測らされた。必ず熱があった。
あれはあんみつ食いたさに風邪をひいたのかも。

あんみつをタイトルに入れるような話じゃなかったな。

旅の最中には下痢をすることはあっても、何故か風邪はひかない。

ムンバイのタージ・マハル・ホテル。数年前のテロの標的となった場所。この写真を撮った時は酷い下痢の後で、ふらふらだったため、タージ・マハルの4分の1くらいの値段のホテルに泊まりました。すごい贅沢をしたおかげで、すぐに回復した。