浅草のお煎餅

昨夜は久しぶりに浅草へ行き、あんこう鍋を食って大満足だったのだが、仲見世を歩いていてどうにもやるせない気分になってしまった。

30年以上前から浅草にはよく通っていたが、最近は足が遠のいていた。

私は食事の前に必ず浅草寺でお参りして、全身に線香の煙を塗りたくって、屋台をひやかし、花やしきを外から眺めて、裏通りを通り、煮込み屋の並びで涎を垂らし、ロック座のあるメイン通りで、渋い映画のポスターに見惚れ、ようやく小料理屋にたどり着かないと気がすまない。
そのくらい浅草とは気が合う。

浅草はどこをどう歩いても、言葉で説明しきれない、微妙なニュアンスの空気が充満している。大変フォトジェニック。どれだけさびれてしまおうが、それはそれで胸がきゅんとして、失恋した時の自己憐憫に浸るあの気分を味わえる。

渋谷には会社があったので、隅々までよく知っているし、六本木も少なくとも週に3回は出かけざるを得ないのだが、浅草ほどこれは書かなきゃというものがない。書いてもいいんだけど面白くならない。

昨日の散歩でネタがまた10個くらいはたまったな。少しずつ書いていきますから、浅草好きの方は是非お友達を誘って、こちらのブログにお越しください。

そこまで浅草に心酔している私が仲見世でがっかりしたのは、ひとつは店が昔と比べると大きく変わってしまったこと。
年寄りの愚痴だと思うでしょ。そうなんだよ。愚痴なんだけど、それはやはり言っとかなきゃ。

昔の仲見世に並んでいる店はどれも間口が狭く、全部観光客向けといえばそうだったんだけど、それなりに江戸のこじゃれた鼈甲細工の櫛やかんざしを売っている店があったり、象牙細工の根付の置いてある店なんかが、ところどころに入っていて、それを見つけて眺めるのがとても楽しかった。
店の作りも年季が入っていて、味わいだらけだったし。

ところが、一軒の店が広くなっている。気のせいかなあ。そんなことないと思うんだけど。
相変わらず歩くのにも難儀するよな人ごみなんだけど、ちょっとここはという店が消えてしまい、ピカピカの照明の中、外国人が増えたせいか単なるお土産屋さんになってない?

私の気の迷いかと思って、料理屋の旦那に聞いてみたら、やはり変わってしまったと言う。
商売になんなくなったんで、売っちゃったり、貸してしまったりしているそうだ。
「きび団子なんて売ってんだから、やんなっちゃうよねえ」
とおっしゃっていました。

で、私は行き付けだった煎餅屋を目指していたのだが、見つからない。仲見世には何軒か煎餅屋があったのだが、私はその店でしか買ったことがなかった。いくつものガラスの大きな入れ物に焼きあがった味の異なる煎餅がどんどん入れられて、一枚からでも売ってくれていた。まさに煎餅屋。

ロンドン時代は帰国した際にそこで大量に購入して、イギリス人に無理やり食わせて「うまい」と強制的に言わせていた。そうすると不思議なもんで、勝手に食いだし、すぐに無くなってしまったりしたのよ。醤油がすでに認知されていたからね。

会社やってた時も、煎餅を持っていった。
社員の皆さんは「もう少しましなもん持って来い」と思っていたかもしれないが。

その店がないんだよ。
煎餅屋はいくつかあるんだけど、どこも透明な袋にパックされていて、これじゃスーパーで買うのと同じだろう。それに醤油が焼けるあの香が消えてしまってるじゃん。どこで焼いてんだか、と思うよ、こっちは。

「こちらはお店のつくりを変えましたか?」
と2軒の煎餅屋で聞いてみたが、一軒は
「いいえ、うちは前から変わっていません」
もう一軒は
「そうなんです。ガラスの入れものがもう手に入らないんですよ。作ってもらおうとすると300個からとか言われるんで無理なんです。でもこのビニールに入れられるようになって、すごく楽になったんですよ」ととても嬉しげに解説してくださった。

「喜んでる場合じゃないですよ」とは言えずに10枚パックをふたつ買った。
どちらの店でも「こんなこんな感じのお店があったじゃないですか」と食い下がったが、目だけ笑ってない笑顔で、「存じませんねえ」と知らん振りである。知らないわけねえだろう。この通りにあってすごく流行ってたんだから。

あー、もう浅草で煎餅買うのやーめた、馬鹿馬鹿しいと腹を立てていたが、花やしきを眺めていたら少し落ち着いてきた。