ルノアールの逆襲

画家のルノアールが、今の世に蘇って大暴れする話も面白いけど、大暴れしてもたいしたことにはならないだろうから、くだらないことを書くのはやめます。

私は喫茶店が嫌いだった。
高校生のころは下関じゃ喫茶店は入っちゃいけんやったんよ。
実際にはやむなしということもあったがビクビクですよ。
田舎での喫茶店話には腹抱えて笑えるのがあるから、別の機会に書きます。

それが理由ではないが、大学に出てきて本当に困った。
大学生は喫茶店に入るんだよ。次の授業まで時間があったりすると、「茶でも」ということになるんだけど、誘わないで欲しかった。「俺には金がないんだよー」と大声で叫びたかったが、そういうわけにもいかない。

「俺はちょっと図書館で調べ物」というタイプでないことは全員に知られている。教室の机に突っ伏して寝ている手もあったが、あれは逆に疲れる。椅子と机のバランスがよくないし、ケツが痛い。

仕方なく付いて行くのだが、さらにまずいことに私はコーヒーが好きではなかった。好きでないコーヒーを前に黙り込んでいる俺をどういう奴だと思っていたんだろう。下関弁というのは本当に恐ろしい言葉で、少し油断するとポロリと口を突いて出てしまう。

大阪弁がうらやましい、明治維新はなんだったんだろう。
鹿児島弁と下関弁を標準語にする御触れ出しておいてくれれば、こんなことにならなかったのに。

恥をかかないためには黙っている必要がある。
黙っていると話についていけない。
ますます何のために「茶飲んでいる」のかわからなくなる。

三田周辺の喫茶店って安くなかったのだよ。軽く昼飯代になったし、下手すりゃ晩飯だって食えました。ない金がどんどんなくなる。また親を騙して「扇風機買うから金送れ」と頼まなきゃなんなくなる。

茶店に行って、何かいいことあったけなあ。
なかったね。
黙ってるんだから、話がはずんで「じゃあ今度、車で湘南にでも行ってみる?」なんてことはありえない。その前に車の免許さえ持ってないんだから、湘南も房総も関係ない。

ついでに告白しておくと、私は東京に来て、海水浴というものに出かけたことがない。
ビキニのおねえさんに「どこから来たの」なんて声をかけたことがない。
この際洗いざらい書いとくと、スキーにも行ったことがない。
なーにが「私をスキーに連れてって」だ。

行きたきゃ行けよ。
俺はそんな金があれば、厚揚げだけ頼んで酒飲んでるちゅーの。

酒なしで人と話なんかできるか?
できないね。
俺しらふで人と話しすんのすごく苦手だもん。

また、ずれてる。

ルノアールでした。

そんな私でもお付き合いする人ができました。
そしたら、その方は大の喫茶店好き。
あそこの喫茶店がかわいい、コーヒーゼリーがおいしいって申されましても。
酒飲もうよ。酒ないと私はつまんない人間だよ。
しかし、昼間から酒は飲まんよ。

私とそんなデートして楽しかったかしら。むっつり黙ーってんだから。
申し訳ないことをいたしました。
今からでもその方の青春をお返ししたいが、もはや万策尽きて55歳だ。

そのころ、流行っていたのがルノアールだった。
どこの駅に降りても、ルノアールがあった。
当時はほとんどソファだったと記憶している。穴がところどころに開いていたような。
妙に広くて、タバコの煙で空気が澱んでいる。みんなが長居するからだよ。
あまり長いと、お茶が出てきていた。茶を飲みに来て、ただでお茶が飲める。
こぶ茶もあった。あれが一番安心する飲み物だったな。

と、いつのまにかルノアールが消えていた。
90年代は日本にいなかったので、その頃だろうか。
チマチマした小さなテーブルがぎっしり並んだ店ばかりで、「ちょっとだべるか」の雰囲気は一掃されている。
仕事の話も満足にできやしない。これは喫茶店じゃなくて、コーヒー飲み屋だ。チャンチャンチャンとしていないといけないところ。だらだらしていると厳しい目で叱られているように思えるところ。

困ったね。あんなに喫茶店が嫌いだったのに、これじゃあ、時間つぶしの場所もなくなってしまった。本屋にいれば特に問題はないのだが、2時間も立ってると腰が痛くなるんだよ。

そしたら、ほーら、ルノアールが穴から出てきた。
みんな待っていたんだよ。あの70年代を引きずった、ルーズな印象の強い喫茶店を。合理性を求めない、儲かってんだかどうだかって感じの店を。
この数年で急速に店が増えている。

いまだに喫茶店に積極的に入る気がしない私だが、ルノアールの看板を見るとなんとなくほっとする。
「だらしなくて、いいんだよ」と言ってくれているような気がする。

これは下関の路地裏の飲み屋街。喫茶店ではない。