花粉症である

アメリカに行ったのが1989年。
ロンドンから帰ってきたのが1997年。

私の頼りない記憶によれば、それまで「花粉症でもう目が、鼻が」なんて言ったことは東京では一度もなかったはずである。そんなことを苦しそうに話している人間を見ては「なーにをたわけたことを」とバカにしてたんだから。都市伝説だと思ってたんですよ。集団ヒステリーだと。ごめんね。

ロンドンでも「Hayfever」というのが存在した。日本語に直せば「花粉症」。大都市の人間はなんでも病気だと聞けば、「俺も、私も」で困ったもんだと思っておりました。

こりゃなんですかね。
私が特別、花粉に耐性があったということでしょうか。
田舎育ちはやっぱり強い。山、野原を駆け回って花粉吸い放題だったからなんだろうか。
スギ花粉が主たる原因だといわれているが、下関にもスギの山はあったしな。

ただ、田舎には一年中青っ洟をだらだらに流していたガキがやたら多かったことは事実である。鼻をかませると、くっきり鼻の下に2本のなんともいえぬ色をした筋が口まで延びていた。冬は鼻水が誰でも垂れるので、その始末をする習慣がなかったからそんなことになっていたと推測できるのだが、一年中鼻垂らしていたということが今になると不思議に思えてくる。

あれはもしかしたら、花粉症だったのだろうか。
クシャミしてたか、目が痒いといっていたかは記憶にない。
しかし、鼻は年中ズルズルすすっていたから、本人には苦しいという自覚はなかったかもしれないが、あの様子を思い返すと、きっと無自覚の苦痛はあったのではなかろうか。慣れとは恐ろしいもんだ。

それもなー、大人で鼻垂らしていたり、クシャミしてたりしてた人はいなかったような気がするし。
どうも下関での花粉症の起源ははっきりしない。

J-WAVEで朝の番組をやっていたころも特に花粉症だという認識はなかった。ただねえ。ディレクターの一人にきっぱりものを言う若い女性がいて、「大倉さん、いつも鼻声ですよ。いっつも」と突き放すように断言されたことがあるので、そのころから兆候が出ていたのかもしれない。

私の番組の終わりぎわに次の番組を担当していた海老原くんがブースに入ってきていたのだが、彼女はマイティッシュボックスを抱いていたような気がする。「あー!もう」と唸りながら鼻かんでたような。ありゃ風邪だったかな。どっちだっけ。どっちもでしたか?

そのあたりから、あれ?と思うことが起こり始めた。
目が痒い。クシャミが出る。鼻水がスーと垂れてくる。
バカにしていた花粉症がお出ましになった。

あらら、ようやくこれで私も都会人の仲間入りだ、と少し嬉しかったりした。
時間がかかりました。田舎もんのふりをしていても所詮都会人だったんですね。ん?逆?

いまやベテランの域に入った私である。
まだ病院に行っていないが、私の場合ひどくなると発作のようにクシャミが続き、目をかきむしることになるので、薬を飲まないと普段の生活が送れなくなる。

それは昔花粉症の方々をバカにしていた報いだと思って、ひたすら頭を低くして耐えればいいのだが、我が家にはそれではすまない問題がある。
もみじがいる。依然紹介いたしました猫です。

もみじは私のクシャミが大嫌い。特別大きなクシャミ音を発するからだと思われる。
花粉症でないクシャミの時から、クシャミ一発で家のどこにいても緊急出動してくる。無論心配してきてくれるわけではない。怒り心頭に達して飛んでくるのである。
で、噛む。一番私の身体で弱そうなところを見つけて噛む。

いけね、クシャミしちゃったよ、と自覚のあるときは丸虫のようになって防御するのだが、PCに向かって、一心にキーボードを叩いていたりすると、すっかりもみじの存在を忘れてしまっている。
先日は何の前触れもなく、腕をギュッとつかまれて驚いたのなんのって。もみじが二の腕に両手でぶら下がっているんだから。鬼の形相で睨んでいる。痛くないけど、衝撃を受けますよ。

花粉が飛んでいます。
目薬を差して、クシャミをしながらやり過ごしていますが、もうほとんど限界です。
薬をもらいに行きます。

でもね。来週から3週間ほどアジアに出かけてきます。
アジアに行くと私は花粉症から解放されることが経験上証明されております。
それまでの辛抱だ。

アジアの旅につきましては、また詳細をお伝えします。

どんと来い。アジア。写真はネパール、カトマンズのインドラ・チョークの早朝。クシャミ出なーい。