散髪に行く

放送では「床屋」は放送禁止用語である。
江戸時代から使われていた言葉なので、「床」の方に問題があるのかと思っていたら、違う。
「髪結い床」とも呼ばれて、風俗とは何の関係もない仕事をしていたのでそちらではない。

今ではどうだか知らないが、中国ではやたら遅くまでやっている「床屋」があって、そちらでは奥でそのタイプの接客もあると聞いたので、遠からずとも、ということなのかしら。

「屋」がイカンらしい。
商いを差別する習慣があったので、「屋」のつくのは基本的にイカンという。
「屋」が全面的に禁止になるとラーメン屋とも呼べなくなる。ラーメン店だといいのかな。ラーメン屋とラーメン店、違わないと思う私がデリカシーにかける差別主義者なのだろうか。

この話、すごーく長くなるし、私のラジオ人生をかけることになるので、別の機会にじっくり。
「床屋」の起源にもあっと驚く事実が隠されている。こちらもお楽しみに。

今日は髪を切りに行く。
来週の水曜から灼熱のアジアなので、剃ってもらおうかと思ったが、そうすると怪しい中年親父がますます怪しくなってシンガポールやマレーシアあたりでは逮捕ということになるんじゃないか、と思い直し、普段より短めにしてもらうことにする。
どちらの国にも寄らないんだけど。

では、私の髪に「切る」行為が必要とされているかという問題であるが、率直に申し上げてあるに決まっている。「BOOK BAR」のホームページの写真では、できるだけ髪の毛については、ただ短いのか、少ないのか、ないに近いのか、どれだか分からないものを使用しているのだが、あるんだよ。

頭のてっぺん周辺については、いわゆる河童タイプに限りなく近づいているらしい。そのついでに前髪もほぼ失いつつある。つまり私のおでこはそのうちつむじくらいまで広がることになる。

小学校の時の教科書に「おでこの大きな人は聡明な人だ。そんな人になりたいので、まずはその人を見つけようと人生をかけて探していた男がいた。歳をとって鏡を見たら自分が想像していたおでこの広い人になっていた」というお話がありました。
本当にあったんだよ。

そういうことになれば、私はとんでもなく聡明なおじいさんになるな。
いや、ならない。聡明になってもおじいさんにはならない。

差別用語の話でもおでこの話でもないんだよ。

私の通う理髪店はなんだか知らないがすごく高い。
若い女性が爪の手入れをしてくれたり、顔のマッサージをしてくれるからだ。
まったく身分不相応な店だが、やっぱり気分がいいんですよ。
客のおじさん率はとんでもなく高い。

もう止めよう。
町の安いとこにしようと、何度もトライしてみたのだが、これが違うんだよね。
微妙に薄いところへのはさみの入れ方が気に入らなかったり、ただの怖い人に見える髪形になっていたりする。髪が少なくなるとよけいにそのあたりが気になる。

髪が薄くなった、失いつつあるという状況になって初めて私はかっこつけ男であることがわかった。
着るものはどうでもいいのに、カットして2、3日は頭が気になってしょうがない。
そのカットを担当してくれているのが私よりも10は年上の石田さんという男性なんだな。
この方でないと、そのあたりの男のこだわりが表現できない。もはや芸術の域に達している。
少なくとも私にとっては。

てっぺん、前以外の髪はゴワゴワのフサフサ。
こっちがむしろうっとうしい。

私はとんでもない汗かきで、暑いところでは全身濡れねずみになるのだが、その中で一番汗が噴出すのが頭。数分放っておくと、汗が目に入って前が見えなくなる。
仕方ないので常にバッグにはハンドタオルを2枚入れておき、さっと一拭い。
これが面白いらしくて「おっちゃん、それやめなよー」と注意されるのだが、本気でやめさせる気もなさそうで、こちらもやめる気はさらさらないので、この15年ずっとそうしている。

頭頂部から落ちてきた汗が、頭を囲う髪に溜まると、もう何にも集中できない。カメラを濡らしてしまうとお終いである。
犬のように頭を振って汗を撒き散らすことでもできれば楽なのだが、周りにいる人の迷惑は計り知れない。

ということで、本日は石田さんと相談しながらこれまでの私とは少々イメージが異なってしまうとしても、旅優先で髪を整えてくるつもりである。
ブログには載せないので、想像してみてね。

とにかく暑くて逃げ場がない。
この子供たちは暑さに強いように見えるんだけど、どう?