積読

本をよく読む。
だから「BOOK BAR」という楽しい番組を長く杏さんとやらせてもらっているのだが、最近の私の積読には目に余るものがある。

その上、読んだ本が捨てられない因果な性格をしているので、親、妹に多大な迷惑をかけている。

私は自宅での仕事が多いので一応書斎というか、物置兼仕事をするスペースを持っているが、この部屋がいまや崩壊寸前である。部屋が崩壊するというのは地震でなくても起こる。
そんなに物の種類が多いわけではない。

本。
CD。
ポジのファイル。
試写でもらったこれは良かったという映画のパンフレット。

そのくらいなのにどういうわけか、崩壊現象が起きつつある。
いくら書いても意味がわかりかねると思うので、恥ずかしながらとりあえず自室の壁の片面のみ御覧いただきましょう。

これとほぼ同様の壁がもう一面。
この部屋にはとても本が入りきらないので、妹の事務所に段ボール30箱分くらいの本を持ち込んでいる。
ただ、その事務所が自宅から遠くて本の出し入れに意外と面倒だったりしまして、半分以上は片付けたのだが、残りは段ボールに入れてほったらかしにしている。
妹といってもひとつしか違わないので、どうしたって社長をやっている彼女のほうが言うことにいちいち理がある。

最近は少し優しくなって、「いい加減に本の整理に来い!いらないんだったら捨てる」というような過激なことは言わなくなった。少し誇張したな。捨てるとは一度も言っていませんでした。ごめんなさい。機嫌悪くして本当に捨てないでください。

問題はどんどん複雑化してきている。
私は本を一度にドッと買う。本はこれだと思った時に買わないとなくなっちゃたりするからである。
実のところアマゾンを利用し始めてからは、本屋でぶらりと歩きながら買う本、アマゾンで多分本屋には置いていないだろういう本を買う、という具合にうまく両立しているので、本がなくなるということは中古もOKな口なので想定しにくいのだが、一度ついた習慣は元には戻らない。

とにかく買っておかないと落ち着かない。

ここまではまあ分かるでしょ。

問題は本を紹介する際にできるだけ同じ著者の書いた本は避けようとすることである。もちろん例外はある。もう200回以上放送しているので、何度かは重なっている。別にそれが悪いことではないが、世の中には信じられないくらい面白い本があるのだから、できるだけいろんな著者の本を紹介したいじゃない。そうすると、好きな作家の本でも、時間のある時に読むということで後回しにする。
実際、時間があるときは一気に溜め込んだ作家の本を読みまくる。

しかし、私とていつも暇なわけではない。そう思っている人間が結構いることは知っているが、本当に暇じゃないからね。

そんなわけで溜まる溜まる。

その上、局に行くと「これは一読の価値あり」という本がどんと積まれている。出版されても知らない本って結構あるんですよ。持って帰る。

試写に行く。「いい映画だったなあ」と思っていると感想を尋ねられる。当然のことだろう。
「この映画、原作があるんですよ、お送りしましょうか」
こんなに嬉しいことは本来ないだろう。実際嬉しい。私の本代は自分でも目眩がするくらいなのだ。
それが送られてきて、ありがたいので読む。

で、また積読率が高まる。

母親が下関を捨てて東京にいるが、あちらにあった本をどうするかで悩んだ。ぎりぎりの選択をして段ボール3箱くらい持ってきた。

そんなわけで私の部屋は掃除が不可能なカオスに突入した。本と本との間にいくつものカメラがゴロゴロと転がっている。写真展で展示したパネル張りされた写真がとっちらかっている。CD用の棚は溢れてしまい、本と同様の扱いを受けている。選曲の時に大変苦労する。

で、机の左横にまさに積読という言葉にふさわしい状況が生まれている。

本が崩壊するだけならいいのだが、私の頭も崩壊しそうな惨状である。

これを打破する解決策があるかといえば、ない。
捨てるという選択はない。
「どうするの」と聞かれても返事の仕様がない。

家族が恐れているのは私の部屋から、本やCDの怨霊の「外に出たーい」「ちゃんと並べてほしーい」と声にならない叫び声がときどき聞こえてくるからである。

私の部屋のカオスに最も興味津津なのは猫のもみじである。外に出られない分だけエントロピーが最大値まで上がっている私の部屋が遊園地のようなものらしい。
何かアイデアを持っていてくれるといいのだが。