ゴールデンウィークというもの

ゴールデンウィークって訳すと黄金週間。
お金がもらえる週、ってニュアンスが出ますね。
私はこっちの方がいいが、だれも「ほら」ってお金をくれることはありません。

実際はお金を使う週です。

昨日から名前の由来が気になっているので調べてみたら、誰がつけたか、ゴールデンウィーク、なんと映画会社、大映の専務が1951年、この時期に公開した映画が大当たりしたもんだから、調子こいて翌年あたりから宣伝文句で考え出したものというじゃないの。
世の中知らないことだらけだ。

ゴールデンウィークという時期にどこかに行こうという習慣はない。
だーれがわざわざ人ごみの中で買い物したり、観光したり、トイレに並んだりするか、と思うと意外にいますね。
あれは実際に目的とすることを楽しむというよりは、人ごみを楽しんでいるのではなかろうか。

祭りだ。お祭りだったらよくわかる。

いきなり混み混みのサービスエリアでお伊勢参りどんちゃん踊りが始まると楽しいだろうなあ。
みんなが「おかげでな、ぬけたとさ」と囃しながら、車放り出して高速を躍りながら伊勢に向かっちゃうとか、ヒカリエや六本木ヒルズで「ええじゃないか、ええじゃないか」で、収拾つかなくなるくらい楽しくなっちゃうとか。
そもそも目的としている「どこかに行く」という行動自体が、ある種の強迫観念から生み出されているような気がするから、それが突然踊りに変わっても何の問題もないし、きっとそっちのほうが自己解放には寄与すると思うよ。

ただ、こういうのは誰かがあらかじめ会場をセットして、「はい、時間ですから、皆さんどうぞ」じゃダメなんですよ。自然発生的に誰かが踊り始めて、それに答えるように体が動き始め、集団的無意識が響きあい、誰にも止められない大きな渦となっていくのが最高でしょ。でしょ、って見たことも聞いたこともないんだけど。

誰かやってくれないかな。

サッカーワールドカップで勝った時や、阪神が優勝した時のような組織化されていない「祭り」には心動かされるものがある。
毎回警察から怒られる人が出てるんだろうけど。

「黄金週間やで、皆踊らんかい!そーれ!」とドンドコ、ドンドコと太鼓でも叩く人いないかなあ。

大学卒業して以来、黄金週間を味わったことがない。
何かと仕事になってしまう。
渋谷で会社をやっていたときも仕事。
フリーランスの今も仕事。いつ仕事していて、いつしていないのかが分からないのが味噌なんだけど。

写真はネパールのジャナクプール郊外の村で遭遇したイスラム教徒のムハッラムという祭りの様子。
これは面白かった。ヒンズー教徒と一緒に見に行ったので、「早く帰ろう」とせかされたのが無念だったが、半ばトランス状態の少女たちの目が忘れられない。これについてはまた詳しく書きます。