セイロガン

私には正露丸と書くよりセイロガンのほうがしっくりくる。
なぜかしら。
カタカナのほうが臭いがしっかり伝わってくるような気がする。

セイロガンが効こうが効くまいが、必ず旅には持っていく。
安心するから。
まだお腹がしっかりしないが、きっと持っていったセイロガンが糖衣錠だったせいだ。セイロガンは何が入っていて下痢に効くのか知らないが、あの臭いが肝である。あのかぐわしい香、やっぱり臭い?で「ああ、ありがたや」と手を合わせていただくことができる。本当は手なんか合わせないが、掌に移った臭いをしばらくじっと嗅いでいるのが好き。

あの臭いがダメ、という変わった人がときどきいるが、わからない。田舎の薬局の臭いがするじゃない。
懐かしくて、暖かくて、心配しているよ、って臭いがするじゃない。

現在、お腹がしまっていない私は、きっぱり西洋の薬を取らず、芳香が強烈に瓶の隙間から漏れ出すセイロガンを服用している。心無しか良くなってきているような気がする。
そもそも薬の大部分はプロシーボなんだから、と医者に怒られるようなことを書いて、本当に怒られる気がするが、そう思っている。薬飲んで、病人だからちゃんと気をつけなきゃと節制するから、良くなるんじゃないの?

私の実家は2代続く医院であった。
私が潰した。
頭悪かったんだから仕方ないでしょ。
バカに診察されたくないでしょ。

この医院が私のセイロガン信仰の源である。
父親は精神科医だったが「精神科」と書くと田舎じゃ患者さんが来ないので、内科、神経科と看板には書いてあった。内科は患者さん獲得のためのイギリスのGPみたいなことだったんじゃなかろうか。
しかし、若い医者のところにはのべつ幕なしに救急車が回されてくる。本当の救急だったら手術室もない医院じゃ手の施しようがないのだが、腹が痛いとか、熱が出たくらいの患者さんだったんだろう。毎晩救急車が来てました。

父親はそういうわけで、内科の患者さんを診ながら、奥の部屋で今で言う精神科クリニックもやっていた。真っ当だったかどうかはわからないが、いまだに私の友人で親父に相談に乗ってもらって助かったという奴がいるので、ちゃんとやっていたと信じたい。
「大倉医院、バカ病院」とからかう本物のバカなガキはたくさんいたが、それで心傷ついたようなことは一切なかった。

ところが、父親の前は祖父がやっていたこの医院、えっと、祖父は私が生まれる前に死んでいたので写真でしか見たことがありません、は内科の治療もやっていたのだろうが、実は肛門科で名をなしていた。
「バカ医院」の前は「ケツ医院」である。

昔はみんなそうだったのかもしれないが、立派な手術室なんてなかったのに手術もやっていたっていうからすごい。本当に困っていた方々からは感謝されていたのではなかろうか。
父親は手術はしていなかったと思うが、簡単な治療はしていた。消毒して薬塗るとか、売るとか。

環境が状況を規定する、なんて言葉があるのかどうか知らないが、私は環境に順応してしまった。
小学生の頃からお尻が痛かった。
祖母は医師でもなんでもなかったが、肛門については祖父の手伝いをしていたこともあり、一家言あったようである。祖父亡き後、診察していたかどうかは定かでないが、どうも薬を貝殻に詰めて秘薬として売っていたらしいという母親の証言がある。もう50年近く前に死んでいるので、勘弁してやって。
別に父親が医者なんだから、薬売っても問題ないんだけど。その貝殻に詰めるってのが怪しいね。

しかし、その薬は確かに効いた。
私がそれを使用していたからである。
綿にそれを塗って患部に当てると、ひんやりしてとても気持ちがいい。

そいつがセイロガンの臭いと同傾向の香りを放っていたのである。
「ありがたや」の気持ちがセイロガンにまで繋がっている。

「あれは一体なんだったのか」とこの原稿を書く前に母親に電話して聞いてみたが、これから高尾山に登ると息を切らして歩いていた「わが母の記」の婆さんとは恐ろしいくらい体力に差がある方は、「知らん」と言い放った。「あれ、セイロガンのような匂いがしたよねえ」と振っても「知らん」とのこと、今の楽しみに生きている女性は過去なんか関係ないらしい。

せっかくセイロガンにすべてを任せる私の心理構造を探ろうと思ったのだが、わからぬままである。
申し訳ありません。

下関の写真スキャンしなきゃ。これじゃわかんないよね。このもこもこの緑の中に細い道がある。