思い続ければ夢は必ずかなう、わけないでしょ

若い芸能人の方がメッセージを一言、と頼まれると「思い続ければ、あるいは、努力し続ければ夢は必ずかなう」とおっしゃることがあるが、このような若者に害のある発言はもうやめてはどうだろうか。

私には某テレビ局がやっている「愛は地球を救う」というやつくらいアンポンタンだと思っている。
こっちの方は放送が近くなってボコボコに叩くのでこれ以上触れないが、「かなわない夢」については今日は譲れない。

言葉には意味がある。一度発するとその言葉には責任をもたねばならない。間違っていたと思えば、そのように謝罪すればいい。謝罪せずに世間様が忘れるまで待つというのも、結構通用しているが、私は嫌いだ。

「思い続けて夢がかなった人」はたくさんいる。そういう人は「思い続けてよかった」と思っていてください。「みんなそうだよ」と言うのがいかん。

山崎静代さんがオリンピックを目指して奮闘されていた。今回は残念だったが、まだまだ挑戦を続けるらしい。ただのひねくれもんでない私は、やはり感動する。
猫ひろしさんはカンボジアに国籍を移してまでオリンピックを目指していた。こちらも土壇場で大変残念なことになった。私は「日の丸を背負って日本のために頑張ります」というのが死ぬほど嫌いなので、自分がオリンピックで走りたいがために、がむしゃらに練習を続けていた猫さんを尊敬している。

このお2人が「夢」に向かって頑張っていた時に「思い続けているのだから、必ずオリンピックに行ける」と言ったコメンテイターはいなかった。そりゃそうだろ、自分のことじゃないのに無責任なことは言えない。
これからお二人がずっと続けられるのか、方向を転換するのかはお二人が決めることで、「何故辞める、夢を諦めるのか、ばかやろう」と怒鳴る人間がいれば、ただの阿呆だ。

努力の結果うまくいかなかった人で世の中は溢れている。
すべてが目標どおり、なんて人間がいるわけない。「夢はかなう」とおっしゃる方も少なくとも小さな挫折は必ず経験しているはずである。

頑張る人の心を挫くつもりは毛頭ない。夢があるなら是非挑戦して欲しい。
ただ、精一杯やることをやってここから先は自分は行けない、と自分でわかるときが来る。
方向を変えて、自分でよかったと思える生き方に出会うことも大切な人生の技である。
幸せの掴み方に決まった方法論はない。
幸せの基準もない。
私たちは孤独であり、自由でもある。

色々な挫折や思い出したくないことがあるとき、すべてをチャラにしてまっさらな人生を、と思うこともある。でもそれも無理だ。泣きたくなるようなこと、立ち上がれなくなるくらいへこんだ経験の上に私たちは何かを築いていかなければならない。
それくらい私たちは自由だ。

本当は「夢はかなう」というレトリックは放っておいても、大きな問題ではない。
だけど、その言葉に縛られて、人生のダイナミズムを失うことがあると嫌だな、とその言葉を聞く度に感じてしまう。

もしかしたら一番その言葉に取り付かれているのは私かもしれない。
人からも見ても、自分で考えても根なし草のようなふらふらした人生なんだけど。

ネパール、バクタプルで泊まる宿の真正面にこのヒンドゥ寺院がある。
朝起きると、もしここで生まれていたら、どんな人生だったんだろうと夢想する。