金環日蝕
昨日までは「日蝕?はっ?」って感じでいたんだけど、朝、テレビで大騒ぎしているので、急に気になってやっぱ、日蝕一緒に見て「結婚しちゃお」ってカップルだっているし、なんだか事情はよくわからないが、ドリカムが2012年のおめでたを歌詞で予告していたなんてオカルトのような話も出てきていたので、ついベランダに出ちゃった。
しかし、目を守るための道具なんてまったく用意していないので、見ちゃいけないし、そもそもよく見えない。あーだ、こーだしているうちに、東京で金環日蝕の時間にはだんだん雲が太陽から離れてきていたのであせりは増すばかり。
なにか目を守ってくれるものはないか、と私のガラクタ部屋を見渡すと、「おっ、これはどうだ」というものが。
セイロガンの瓶があるじゃないか。これはいい感じで色がついている。漢方薬だから薬を守るためにこげ茶色にしてある。隣には葛根湯の瓶もある。どっちかでどうにかなるだろうと、角度を変えて覗いてみたが、瓶を通してだとすべてがグニャグニャに曲がって見えて、太陽の形も判然としない。影も何もあったもんじゃない。葛根湯でも当然同じことですがな。
これで一生金環日蝕を見ることはできないのか、といまさら肩を落としていたが最後の挑戦でやってはいけないことをやってみた。もともと小さい目をさらに小さく、薄くして、見えるか見えないかの、縄文時代の遮光器土偶のような顔で静かに太陽に目を向けてみた。するとどうだ、太陽の中にすっぽり黒い月が納まってるじゃない。これは絶対にやってはいけないことですよ、と昨日のニュースでやっていたような気がするが、やってしまったものは仕方がない。
そんなわけで、特に見たくもなかった金環日蝕を観察した。
著名な方々にあったよな、何かいいことがあるといいな。
金環食、金環食と頭の中で繰り返していたら、急に赤江瀑さんのことを思い出した。
赤江さんが「金環食の影飾り」という小説を書いていたからだ。1975年の作品。
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赤江さんは大学卒業後、ラジオ作家という今私がやっていることに近い仕事をされつつ小説家として大成功を納めた方である。
一般的には耽美派の流れを背負っているといわれていて、瀬戸内寂聴さんが晴美さん時代に、「鏡花、荷風、谷崎、三島に連なる系譜に赤江瀑は書き込まれなければならない」という趣旨のことも書かれているほどの大御所である。
下関で執筆活動をされていて、私が高校生のころよく自宅に文学仲間と飲みに来られていた。
酔っ払うと「今、君はページを一枚一枚めくるような、そんな時期にいる。やりたいことを大いにやりたまえ」と激励してくれていた。私も一緒にお酒をいただきながら「その通りでしょ」と大きくうなずいていたのである。
私は当時バンドのことしか頭になくて、さっぱり教科書なんてものは見たことが無い生活を送っていたのだが、「やはり、これでいいのだ」と親の意向を一切無視することに太い幹を通すことができた。
怒ったのは父親だね。「人の息子と思っていい加減なことを言うな」と怒鳴っていたが、酔っ払った文学者たちは、「もうそんなことしらーん」状態で、「まあ、もう一杯」と酒をついでくれた。
あのときがなければ、今、こんないい加減な生き方をしている私はないな。
心から感謝している。
瀑さん、と呼んでいたのだが、まだ下関だろうか。
瀑さんの小説はほとんど下関に置いてある。
瀑さんの小説はちょっとエッチなところがあって、高校生の私は少しむせたりした。