岡部の結婚式

部下の結婚式の話ではない。
部下なんていないんだから。

昨日、下関からミキちゃんが来た。
よく間違われるが、女性ではない。中川幹彦なんで、ミキちゃんと高校のころから呼ばれている。
私とは別の高校出身なのだが、仲がいい。私が下関に帰ったり、ミキちゃんが東京に来ることがあると必ず浴びるほど酒を飲んで、最後にラーメンを食べる。

この歳になると、仕事の話で相談しあうようなことはない。どうせ聞いてもわからないんだから、そういう儀礼的なことはしない。

そのかわり、いつ会っても同じ昔話で笑ってばかりいる。
自分でも半分ぼけてんじゃないかという気がするが、昔話というのは鉄板。きっちり同じように話して、同じように合いの手を入れるのだが、おばさんの集団が大笑いして「あ〜あ」と閉めるように、静かに収束していく。

ネタは本が数冊掛けるくらいあるのだが、特に笑えるネタの宝庫が岡部である。
下関でも山陰から通っていた人間には固い絆があって、通常はよそ者ははじかれるのだが、私はその山陰組の「緩さ」と合い通じるものがあって、いつの間にか自習時間は卓球をする仲間になっていた。

ミキちゃんも岡部も山陰の吉見出身。モトブー(岸田が本名だが、小学校の時に太っていたらしく、いまだにそう呼ばれている)もそうだが、こいつは卓球には加わらず、妙にちゃんと勉強をしていた。
私にもあだ名があり、現在に至るまでそう呼ばれているが、この話は長くなるので別に機会に。
昨晩もずっと私の家族の前でそう呼ばれていた、らしい。
今確認が取れました。
55歳が突然高校生に戻るのだから、怖い。

私が芥川賞取る時に、ミキちゃんと連絡を待っていて、「やったね○○」じゃ報道の方々も受賞の喜びよりも、何故私がそう呼ばれているのかの方を聞きたくなるに違いない。
どこかでけじめつけんにゃいけん。

ミキちゃんもモトブーも同学年、私もほとんど変わらぬ歳の女性と結婚したのだが、岡部だけはどえらく若い嫁さんをもらった。いくつだっけ7つくらい年下?
みんな怒り狂い、結婚式ボイコットという声も出たが、何しろ奥様になられるさっちゃんがあまりにも可愛かったので、怒りのマグマはそのままだが、揃って出席させていただいた。
25年前くらいの話か。

結婚式は順調な滑り出しで、幸いにも新婦の元恋人が乱入してくることもなくこのまま進むものと思われていた。
しかし、この均衡は静かに破られた。
「では、新婦のお父様が愛娘の手をとり、新郎のもとへお連れします」の司会者の案内のあと、すくっと立ち上がったのは、新婦のお父さんではなく、岡部の親父だったのである。
最初は感極まって拍手でもする気かと思ったら、そのまま緊張した面持ちで新婦へ歩み寄り、さっと手を差し出した。

この時点で「何かおかしいだろう」、くらいじゃなくて、「どうなっちゃってんの」の空気が式場に充満した。しかし、恐ろしいくらい式場は静まり返っている。次に何が起こるのか固唾を呑んでいるのだ。

さっちゃんが岡部の親父の手に手を乗せちゃったよ。
何やってんのさっちゃん。
リハーサルやったでしょ。
「ここであなたを迎えに来るのは、さっちゃんのお父さんだよー」と出席者全員が心の中で絶叫した。
やさしいさっちゃん。やさしいさっちゃんのお父さん。
司会者!止めんかい。
「新郎のお父様、ここはあなたの出番ではございませんよ。引っ込んでいてくださいね」が当たり前だろう。
しかし、式場はこの異変に声も出ない。
岡部の親父は新婦を立たせると、そのままテーブルの間を縫って、意気揚々と新婦の手をとり、岡部の待つ場所へいざなっている。ようやくそのくらいから我々のテーブルでひそひそ話が交わされるようになった。
「なんで、岡部の親父なんかね」
「わからん」
「おかしいやろう」
「おかしい」
「さっちゃんのお父さん、激怒りなんやないか」
「一生に一度の舞台を岡部の親父にさらわれたんやけーね」

そんな会話の間に岡部の親父は、岡部にさっちゃんの手を差し出し、岡部も受け取った。
これじゃ、岡部親子による略奪婚だろうが。
「岡部、さっちゃんのお父さんのところにさっちゃんを連れて行け。やり直せ」と念じたのだが、岡部も岡部で何事もなかったかのように、司会者に促され、テーブルについてしまった。
岡部の親父は堂々と胸を張って席に戻って行った。

かくしてこのカフカ的不条理劇は一応の幕を閉じ、何十年も語り継がれることになったのである。

この話でもう何十回も爆笑しているのだが、昨晩も腹が痛くなるまで笑った。

岡部には何度も「何であんたの親父がさっちゃん連れていったんかね」と聞いた。
「それがようわからんのよ」と何度も同じように答えてくれている。

一番右がミキちゃん。