カジノやんないの?

カジノの上がりで生計を立てていると本人がおっしゃっている森巣博氏によると「カシノ」が正しい発音だそうだが、イギリス英語では「カジノ」でかまわないようなので、ここは「カジノ」で統一させていただく。
ちなみに森巣氏は底なしに面白いカジノをめぐる小説を多く出版されている。騙されたと思って読んでみて。
とりあえずこんなとこ。

神はダイスを遊ばない (新潮文庫)

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越境者たち(上) (集英社文庫)

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二度と戻らぬ (幻冬舎文庫)

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さて、昨日のニュースでカジノ法案につき自民、民主がそれぞれ会議を開いたが、自民は異論なく了承、民主はまとまらず、という結果になったとあった。

民主がまとまらなかった理由は当然だが反対派がいたということである。
何事も反対派がいることは自然であり、健康的で結構と思うが、理由が「ギャンブル依存が増える」「善良な風俗が破壊されかねない」「賭博罪に『例外』を作ることへの抵抗がある」ということなので、アホらしくて聞いてらんない。

最初に断っておくが私はギャンブルはまずやらない。
多少の投資をしているので、これもある意味ギャンブルだといえないこともないが、やはり単純に一緒にはできないだろう。

パチンコは数年に一度、どんなことをしても時間がつぶれない時に入店してみて、あっという間に数千円が消えてしまい、10分で出てくることがあるが、その他の公営ギャンブルに手を出したことはない。
違うな。忙しくて忙しくてまともにものを考えられなかったころ、この状況を抜け出すには3億円しかないと思いつめ、ジャンボ宝くじを必ず買っていたことがあるか。
当たる人がいるのは風の便りで聞いているが、私には絶対にあたらないことが分かったので、やめてしまった。「俺は金が欲しいんじゃなくて、夢を買っているんだ」と意味不明のことを口走っていたが、嘘である。金が欲しかった。

そんな私がカジノ支持派ということに驚く方がいるかもしれないし、別にどうでもいいと思う方もいるだろうが、とにかく支持派である。

なに?「ギャンブル依存が増える」?
もう充分すぎるほど依存の方いらっしゃるじゃない。最近はパチンコ業界もさえなくて困っている経営者の方がいるらしいけど、大金を掴むと「ギャンブルで使っちまった」という方々がいるじゃん。
大金がなくてもサラ金で借金してパチンコで溶かしてしまい、自己破産の方もいらっしゃる。
もう充分にギャンブル依存の方を公営ギャンブルで増殖させてるじゃないすか。

パチンコは一応合法らしく、景品交換所を営業している会社の役員は警察官僚が大量に天下りされてますよね。ありゃ、パチンコ屋で玉をたくさん集めるゲームは問題なくて、その店内でお金に換えるのが問題だっつーことですよね。だから、わけのわからん「『景品』しかお渡しできないんです」ということなんでしょ。で、その景品に価値があることを認めて「買い取る」のが景品交換所、正式には景品買取業者といわれる「古物商」が何度もパチンコ屋との往復で手垢のついた小汚いプラスチックケースに入ったものを品評して、買い取っているわけだ。
ナイス。
これを合法としている法務省の方々、取り締まることを絶対にしない警察庁の方々。
ナイス過ぎ。

で、「善良な風俗が破壊されかねない」?
「善良」ってなに?
パチンコ、競輪、競馬、競艇オートレース、宝くじはみんな善良なんすか。必要悪なんすか。どっち?
宝くじなんかタレントバンバン使って、「じいちゃんもばあちゃんも億万長者!」ってやってるし、必ずテレビのニュースでも「不況の街に夢を求めて大勢の方が宝くじ売り場に行列をつくっています」って微笑ましいって感じでアナウンサーが原稿を読んでるもんな。
善良っぽいね。
競輪はオリンピックでも「ケイリン」だから善良。馬は綺麗だから善良。競艇は手に汗握るから善良。オートレースは命がけで走っているから善良。
善良オンパレード。

そこにちょっとしたインセンティブで「当たると少しだけいいことがあるよ」というのが配当ということですね。
その「少しだけの配当」というのが、どうにも解せん。
公営ギャンブルは胴元がごっそりテラ銭を持っていくのである。テラ銭っていうのは主催者に払う参加料のこと。それが社会貢献事業に回されたり、天下り役員にドーンと給料として支払われているわけである。アフリカで飢える子供と天下り官僚が同列なのである。競馬は25%がテラ銭。
宝くじが一番すごい。52%がテラ銭である。当たらないって。半分以上が参加料なんだもん。

翻って、カジノのテラ銭はゲームによって異なるけど、ルーレットが5.3%、バカラは1.1%、ブラックジャックだと0.4から0.6%。
ルーレット持って行くよなー。善良じゃないね。許せん。

民主党の皆さんが「賭博法に例外を作ることに抵抗がある」気持ちよくわかるわ。
公営ギャンブルがしぼむんだもんな。

私は世界のあちこちでカジノ見てきたが、荒れている人間を見たことが無い。カジノ周辺で風俗の乱れを見たことが無い。乱れる人は乱れるんだろうけど、そりゃリーマンショックでひどいことになっちゃった人ほどじゃなかろう。

私は石原知事が言っているような、ラスべガスのような一大歓楽街を夢見ているのではない。しかし、カジノができることで間違いなく観光客は増える。金を落とす。雇用ができる。儲かったカジノからの税金が入る。これのどこが悪いのかわからないのである。

なけなしの金をパチンコ、公営ギャンブルで溶かして天下り官僚に飯を食わせるよりずっとましではなかろうか。

人間は賭ける動物である。金でなくても、人生を賭けちゃったりする。見方によっては会社経営も起業もギャンブルだ。
そういう理由で博打には反対ではない。ただ、金の流れを明らかにしようじゃないの。
今の日本で行われている政府公認ギャンブルはその点においては詐欺ですよ。

カジノができたら、私も一万円握り締めて行ってみよう。
だって人間だもの。

この少女の住む国、ネパールにもカジノあるよ。