5月病の方へ

五月病にかかったんだったら、今日も五月病でしょう。
そういうことにしといて。

この歳になると五月病にかかることはない。
やんなるときはやんなるし、楽しいときは楽しいで、ある意味健康的な生活だな。
会社に勤めてなくて五月病になれたらすごいでしょ。
どうしよ、どうやって食っていこうということがあったら、五月病にかかってる暇なんてないのよ。

期待して始めたから、その分反動が来ちゃったって、こんなはずじゃなかった、って学校や会社辞めちゃう人が確かにいるような気配である。それが五月じゃなくても、2年後でも、5年後でもたいした違いはない。

私は入社していきなり五月病なんてことはなくて、五月はコピーライターの研修を受けてたので、「こりゃ楽しい、もしかしたらずっとこんなでいられるのかしら、俺は天下一のお調子もんだ」と思っていたのだが、皆さんすでにお気づきのことと思うが、これで意外に繊細でもろいオッサンである。当時は青年ね。

入社3年目くらいで、こりゃもういかん、これ以上はこの仕事続けられらんない。会社辞めようと真剣に思いつめたことがあった。そのときは隣に座っていた2年上の先輩を昼飯に連れ出し、昼間っから日本酒何本も空にして、くだ巻いて、「会社辞める」「そうか」ということで、なんとなく収まってしまった。まだ、覚えてるかな。忘れて欲しい。

結局、その約15年後に辞めた。
じっくり考えぬて辞めたんじゃなくて、チリが積もった山の上にいて、それが噴火しちゃったんだから、先のことなんてまるで考えてないわけよ。
それはそれで結果的には成り立ったんだから、やっぱり天下一のお調子もんである。

さて、現在五月病に苦しんでいらっしゃる方、ひとついいことを教えて差し上げましょう。

「今の仕事、生き方で満足している。すごく楽しい。人生これで終えて全然かまわない」と思っている人ってそんなに多くないですよ。
仕事をいい加減にやってるてことじゃなくて、与えられようが自分で探し出そうが、取り組まなきゃいけない仕事に没頭していても、「どこかに自分にもっと向いている仕事がある」「本当の自分はこうじゃない」ってどこかで思ってますよ。

誤解しないでいただきたいが、それが悪いなんて言ってないすよ。
でも、どうしてもこの仕事がしたくて会社に入った、って人がそんなにいるかな。
社長になっちゃった人なんてなにを言っても許されちゃうから意外に本音で話したり書いたりしてるけど、「成り行きで、誘われたから、他に入れなかったから」なんて人多いよ。
で、そのお仕事がずーっと楽しかったって人もそんなにいないって。

人間が生きていくのはなかなか面倒で、「意味」を見つけられないととても苦しい。
岸田秀が言うように「意味」というのは、人間特有の「幻想」ですから、よけいなもの背負ってるんですよ。「あー、猫のように生きたい」っていうのは、それなりに正しいですね。

でも人間に生まれちゃったから、意味が見つかろうが、さっぱりわからくても生きなきゃいけない。
宗教がそのために用意されてますが、これも人それぞれですね。

あるときから私は面白さの種類を増やすことにした。
新聞読んで「そうか人間はこんなにバカだったか」と面白がる。
旅に出て、「こんなことにびっくりしている俺がいる」と面白がる。
「きゃー、こんな病気にかかちゃったよ」と面白がる。
イラク戦争、ふざけるな」と面白がる。

「面白がる」って言葉は非常に誤解を受けやすいのだが、現在の私には一番ピッタリ来ているのでこのまま使わせて。あえて別の言葉に置き換えれば「興味がある。心をかき乱される。怒り狂う。」
そんな感じでしょうか。であるから面白がったあとの反応は様々である。ただ、何故そうなのかをすごく追いかけたくなる。実際にそうしてみる。

そんなことで、この歳までやってきた。
人の人生に口突っ込むほど思い上がってないんですが、なんでもありで「面白がる」というのは我ながら悪くないと思っています。
いかがでしょうね。

全然五月病の解決になってない?
解決しようと思ってなかったもんな。

こんなとこで牛と出会ってると、「おー!」ってなって一瞬五月病忘れるような気がします。