ガブリエル・ガルシア・マルケスのマジック・リアリズム

今朝の朝刊にガルシア・マルケス認知症だという記事が小さく出ていた。
85歳ということなので、仕方のないことなのかもしれないが、やはり淋しい。

ガルシア・マルケスにしびれたのは「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」という短編を読んだのがきっかけで、その後翻訳が出るたびにむさぼり読んでいた。復刻版ですけどね。

エレンディラ (ちくま文庫)

エレンディラ (ちくま文庫)

タイトルが長いんで「エレンディラ」とさせていただくが、本人が脚色したその映画を見たときには、人間の感性の多様性にひっくり返るくらい驚いた。映画自体が完全にマジックだった。まだ若かったから、知らないことが多すぎたのかしらね。

このエレンディラは日本では蜷川が舞台にもしたが、正直がっかりした。「これじゃマジック・リアリズムじゃないじゃん、普通の話になっちゃたよ、頼むよ蜷川」って感じだったな。美波が全身すっぽんぽんで舞台を駆け回っていたのはよかった。枯れると裸がいいんじゃなくて、その覚悟が好ましく見えるのよ。

そんなことで、ノンフィクションも含めてほとんどの作品を読んでいるが、後でばれた時が怖いので
「族長の秋」をなぜかまだ読んでいないこと告白しときます。こういうことってときどきない?
ワクワクして買った本をなんとなくそのままにしておいて、他のつまんないの読んですごく後悔するようなこと。それでも読まずに置いとくわけ。謎でしょ。読みたいのよ。心から。でも、「ちょっと」って横にずらしちゃう。これはどういう精神構造なんだろう。このまま読まなくて死んでしまうんだろうか。

族長の秋 (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)

族長の秋 (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)

「生きて、語り伝える」もまだ読んでいない。
なんだか最後の本みたいじゃないですか。読みたくねえ、と思いました。買っちゃってからなんだけど。
生きて、語り伝える

生きて、語り伝える

2002年に書かれたものが2009年に翻訳されている。南米ものは時間がかかる。
で、てっきりその「生きて、語り伝える」が最後だと思っていたら、2004年に小説を発表している。当然まだ翻訳されていません。

で、認知症であるとのことだが、それがなんか問題あるのかと思わせるところがガルシア・マルケスである。本人が嘘をついている可能性も充分にあるが、自ら「百年の孤独には四十二の矛盾と六つの重大な誤りがある」と語ってるんだから、ガルシア・マルケスが書いたものがどんなにおかしなものであっても、みんなフンフンって読みますよ。「百年の孤独」にはアウレリャーノがとんでもない数出てきて、どれがどのアウレリャーノだか途中でわからなくなっても、まあいいやで読み進めることができる。それでマジック・リアリズムに翻弄され、空中浮遊しているような気分になるんだから。

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

辺境作家の高野秀行さんが「世にも奇妙なマラソン大会」という本の中に、友人との会話を収録している。かいつまんで引用すると「中南米に行くとガルシア・マルケスみたいな出来事当たり前のように起こる」「マジック・リアリズムでもなんでもない。現実」「ある村でハンモックで寝ていたら、見知らぬ女の子が中に入ってきて・・・」「で、次の日も・・・」「で、次の日も・・・」
ここんとこ一番面白いから買って読んで。
世にも奇妙なマラソン大会

世にも奇妙なマラソン大会

そんなわけなんで、ガルシア・マルケスが勝手に話をしているのをそのまま書き取っても、ちゃんと読めるものになるんじゃないかと睨んでいる。

頼む。何とかしてくれ。

私は中南米はアルゼンチンにしか行ったことがない。仕事でブエノスアイレスにしかいなかったのでマジック・リアリズムには出会っていないが、「深夜に絶対に一人で行っちゃいけない」と注意されつつも、のこのこ出かけたタンゴ・バルで男女がすごい勢いでタンゴを踊るのを見て、これもマジック・リアリズムかもと思った.

アルゼンチンにもマルコス・アギニスという私が絶賛お勧め中の作家がいる。
南米文学がお好きな方は是非。

天啓を受けた者ども

天啓を受けた者ども

逆さの十字架

逆さの十字架

  • 作者: マルコス・アギニス,八重樫克彦,八重樫由貴子
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