英語の勉強4

ずいぶん間が開いてしまった。
前回の英語の話は大学付属の英語学校が終了したところまででした。
何の話かわらない人はどこかにあるのでカテゴリーで調べてね。

上達したんだか、ただなんとなく話せるようになった気でいたのかわからなかったが、ともあれ次は大学院でMBAのコースの数単位を取るべく、ホテルに乗り込んだ。ホテル?
乗り込んだ場所は大学が経営しているホテルの一室なのでであった。
ゼミ?

ゼミじゃないんだよ。
私たちは隔離病棟に移されたのだった。
英語舐めてる病の。

私たちは5人一緒に送られていたのだが、5人はホテルの部屋に特設された大きな机につかされ、大学院の先生が同じくどこからか引っ張ってきたホワイトボードを前に毎日3コマずつ経営学について講義するのであった。

最初はびっくりした。
てっきり他の学生と席を同じゅうして、喧々諤々のやりとりをするのだとばかり思ってたんだもん。
しかし、よくよく考えればそんなことができるわけがない。
日常生活が不自由しない程度でしかないのに、いきなり経営学の理論の講義やケーススタディをやらされても、わかるわけないんだよ。
それに私はろくに勉強もしなかった文学部出身者だ。
インド哲学についてなら日本語で少し話せる程度だよ。

であるから、「こんなところに日本人だけ押し込めやがって、これじゃ全然他の学生と話もできないから、英語の勉強も無駄になってしまう。どうにかしろ」と勢いで息巻いていたのだが、「まあ、こっちのほうが気楽かもね」にすぐ方向転換してしまった。

しかし、私たちの杞憂は杞憂ではなく、現実的な問題となって現れた。
我々日本人学生同士が英語で丁々発止の議論なんてやるわけないのである。
先生がいてもいなくてもやらない。
そもそも先生から読めと渡された、教科書のようなものは枕にしかならないくらいに重くて厚い。
読んでまるでわからないわけではないが、それがどうしたである。
そーんな当たり前のことと思う話や、アメリカらしい分類に次ぐ分類なんて覚えても意味ないじゃん。自分たちのできなさ加減を恐ろし勢いで学校のせいにし始めた。

このあたりで、はっきりさせとかないとまずいのは、先ほどから「私たち」と、あたかも全員がそう思っていたかのような心理操作をしていたが、そう思っていたのは私だけの可能性が高い。
わかんねーんだもん。広告の仕事すんのにこれ必要なの?MBA取るとみんなすごい経営者になるの?
俺は信じないね。

あ、でも一度私鋭い質問したな。
アメリカ国債の話になったとき、「その国の借金いずれ返すわけでしょ。国債持っている連中が、全員返してくれ、もう買わないってなったらどうするの?」と聞いたことがある。
先生は相変わらず君はバカだねという苦笑を浮かべて「そんなことにはならないから大丈夫。返した時にまた国債発行するから問題ないんだよ」とお答えになった。

バーカ、問題になるんだよ。
現実を見ろ。当時のじゃなくて、今の。俺様は当時の心配をしてたんじゃなくて将来の心配をしてたんだよ。アメリカに限らずほとんどの「先進国」借金で首が回んないんだよ。日本国債が安全だといってみんなが買うから10年物の金利が0.8%を割ったりしているけど、今日スペインじゃ6.8%だぜ。日本の財政状況を考えると、現在の金利は納得がいくものではない。日本人が持っているから日本人の資産なんだ、だから大丈夫、という話にもうかつには乗れないと私の直感は言っている。お、日本ヤバイじゃん、ということになれば国債バブルがはじけて、金利はいきなり上昇を始める。金利が上がれば払い戻しの時に利払いも上昇する。その額は半端じゃないよ。

経済なんていっても所詮人間が売り買いして成り立っている。つまりは常に幻想に乗っかっているのである。「ヤベー!」って誰かが叫んだら「逃げろー」ってことになるのよ。
ギリシャもスペインも預金がどんどん国外に流出している。ユーロ離脱なんてことになって、自国通貨に戻れば暴落間違いないわけで、ここはユーロを国外で握り締めとこ、となりますわね。

話が大幅にずれたが、なんか怪しい連中が先生で、もっと怪しい学生が私なんだから、うまく行くわけがない。
だんだん飽きてきて、最初は枕にしていた本を必死で読んだりしていたのだが、授業が終わればゴルフ場に直行ということが増えてきた。大学が立派なゴルフ場持ってるんだから、なんだかわからないけどすごい。こんな国と戦争しちゃいかん。仲良くしすぎてもいかん気がする。

エッセイはよく書かされた。
あちらでいうところのエッセイは小話ではなくて、小論文である。
これは面倒くさいが、それほど苦痛ではない。
私は関係ないところから話を持ってきて、無理矢理本筋と合わせるのは得意なのである。
ひとつ気をつけるべきは、アメリカでは結論を最初に書いとかないと0点である。
だから逆に簡単で、「こうこうこうあるべきである。なぜなら」と無理やり話をつなげれば何の問題もない。

私はなにについて書かされたかはさっぱり思い出せないが、仏教の「無」についてとうとうと述べたり、「サザエさん」の話で受けを取った。

しかし、そんなある日私たちは「望んでいた」本物の学生との交流の場に連れて行かれた。
酒でも飲んで立ち話、のつもりが、階段状教室の壇上に並べて座らされ、学生たちの集中砲火を浴びた。あいつらは容赦がない。いいたい放題である。
緊張とここでまた露呈した語学力不足で大倉撃沈。
生きた心地がしなかった。

卒業試験は一応あった。
そもそも問題が何を問うているのか理解できず、再度撃沈。
何とかグルと何とかサドゥの違いを述べよと書いてあったので、インドの導師と修行者の違いについて書いておいた。あと2週間でいなくなるんだから関係ないって開き直っちゃいました。

そんなことが「大学院」という名前の牢獄生活であった。

もう想像がついていると思うが、ここからぐるっと2ヶ月間ヨーロッパ各国で「研修」を受けて帰国し、その後赴任となるのだが、それが大変。

じゃ、また。

ヨーロッパでニコニコ自主研修をしていた時に撮ったパリの写真。