山男と海女

私の娘は山ガールという聞きなれない人になりつつある。

山をテーマにした小説やノンフィクションには感動するものがたくさんあるが、自分が「そこに山があるから」山に登ろうと思ったことはない。

神々の山嶺(上) (集英社文庫)

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遙かなり神々の座 (ハヤカワ文庫JA)

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神々の座を越えて〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

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空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む

私の登山経験は一度きりである。
大学卒業間際、天気のいい日になんとなく高尾山に行ってみようかな、と思ってしまい、軽装でカメラをバッグに詰めて、何の覚悟もなく電車に乗ってしまった。なんとなく山に登ろうと思うかな。思わないと思う。人生最大の謎である。

ケーブルカー乗り場に向かおうとしたら、登山ルートがいくつか示されているボードを見つけた。こういう具合にボーっとしている時は、一番辛そうなのを選びがちである。皆さんも気をつけてね。
何しろ一人きりなんで誰に断りを入れることもなく、さっさと登り口に向かってしまった。登り口あたりは、結構階段なんかが付いていて、舐めてしまう。あれはあれですかね、トラップとでも言うんですかね。誰が誰に罠を仕掛けてるんだかわからないけど。

登り始めて15分くらいで異変に気が付いた。
どうも、登山道という雰囲気ではなくなってきている。ただ細いなんとなく草がそんなに生えてないかな、くらいの獣道のようなものが見えるような見えないような。前後に人は誰もいない。この道というか、ここにいる私はただ山の中にいるだけじゃないのか、という強い疑問が湧いてきたが、大騒ぎするほど私もバカではない。叫んだところで誰にも聞こえないんだから。ある意味私がいるのは壁のない密室。ここで死んだら密室殺人ということになる。ならない。

帰ってもすることが特にあるわけじゃないし、経験だ、このまま信じる道に見えなくもない道を行こう、と決めた。しかし、ほとんど道には見えないわけだから、果たして私の進む方向が山頂を目指しているのかどうかさえ定かではない。

たいした物をリュックに入れているわけではないが、すべてを捨てたくなる。リュックも置いていきたい。大事なカメラも首にかけていると鉛の塊を支えているように感じてくる。
おにぎりを買っていたので、それを食って凌いだが、食料はもう終わり。甘いものが嫌いなので、チョコレートの類は一切持っていない。

引き返すことも考えたが、下を見るとどう来たのかさえわからなくなっている。降りることもできない。
登るんだ。俺にはそういう生き方しかできない。
休んでいると体が芯から冷えてくるが、登り始めると汗かきなもんで全身汗だく。極めて登山には向いていないタイプである。休むと凍えてしまうので、泣きながらつるつるすべる山肌にへばりついていた。私のはいている靴はそこいらの安物スニーカーなのであった。

どのくらいたっただろうか、数時間ときどき倒れながらもアリのようなスピードで足を引きずっていたら、完全登山仕様の格好をしたグループに皆さんが私の前に横から現れた。もうそこは雪が積もる別世界。汗だくで髪振り乱し、ジャンパー一枚羽織って、スニーカー姿の私を見て、驚いた顔をしている。
「ふふふ、君たちはそんな重装備しないとこれしきの山も登れないのかね」とは全然思わなかった。
俺がバカだったよー。どうしてこんなことを思いついちゃったんだろう。スゲー恥ずかしい。
彼らは私を見なかったことにして、声もかけず、先に行ってしまった。「バーカ」と思ったに違いない。

私はそんなことではめげない。逆に元気が出てきた。
この道でよかったのである。あとはずーっと先を行っている重装備軍団を追いかければいいのだということがわかったんだもん。

到着。とうちゃーく。
山はいいぞー。この気分の良さはなんだ。
お金がないんでバシャバシャシャッターは切れなかったが、じっくり写真を撮った。当時のリバーサルフィルムは高くて、現在のデジタルのような真似はできないのだよ。若い諸君、シャッター一回押すごとに「一期一会」だと心得よ。

帰りはケーブルカーのつもりだったのに、どこにあるかわからなくて、とにかく下に降りて行ったら全く知らない町に出た。「Where am I?」じゃなくて、「ここはどこですか」とマヌケなことを第一町人に聞いてみた。まるで「今は何年、何月、何日ですか?」って感じだよ、もう。
全然聞いたこともない地名。近くの駅も知らない名前。知らない町を歩いてみる気にもなれず、駅へ直行して一気に自宅へ戻った。
それ以来、山になんか登ろうと思ったことはない。

そんな私の前に山ガールが登場してしまった。
いいんじゃないか。キリマンジャロでもチョモランマでも登ってくれ。雪崩には気をつけろよ。

と、そこで、なぜ山ガールと呼ばれるのか不思議に思った。
山に登る男は山男。「山おっとこ、よく聞ーけよ」だもん。
そのまま当てはめれば「山女」のはずだ。おっと、これでは「ヤマメ」じゃん。
おいしいよ、じゃん。
海男とは言わないが「海の男」はあるな。
しかし、「海女」はあるな。でも「アマ」になっちゃう。

山が好きな男と海でしか楽しめない女の小説を書こうと思った。
タイトルは「山男と海女」。
だめだ。「やまおとことアマ」になってしまう。全然意図したことと違ってくる。
山が大好きな男と女の話しにしようと思った。「山男と山女」。
「やまおとことヤマメ」になった。
釣りの道具を持った山男がヤマメを釣って食べました、になってしまった。

山でも海でも女性は差別されてるぜ。

山ガールならまだいいが、お歳を召した方々はどうなる。
山おばさん、山ばあさんじゃいくらなんでもひどいだろう。

私の母親が先日「高尾山に登った」と電話をしてきたので、てっきりケーブルカーだと思ったら、全行程歩きだったそうである。
私のように泣かなかったそうである。
何にも言えねえ。

今度なんて呼んでほしいか聞いてみることにする。

ネパール、ナガルコットで生活するのも悪くないぞ。
標高2100メートルだ。