下関弁イタリア語語源説

「どうだね」と聞くことがある。
「最近はうまくやっているかね」のニュアンスが込められているが、なんとも偉そうじゃないか。
ふんぞり返って言ってんじゃねーよ、と思うね。私は。

これが下関弁になると「どうかね」となる。
一般的ではないかもしれないが、私の友人の間ではそうである。
こんな感じ。

「どうかね」
「どうかねって、なんかね」
「どうしちょるかね」
「えーよ」
「どうえーんかね」
「まあまあやね」
「あんた太ったやろう。腹パンパンで破裂しそーになっちょらーね」
「5キロ太った」
「いけんわーね。なに食いよるんかね」
「何でもおいしゅーていけん」
「痩せりーね」
「痩せられん」

このどうでもいい会話に下関弁の極意が隠されている。
こんな会話をしている限りなかなか喧嘩にならない。
うまく対立を避けるべく、やや焦点をはずした印象になるのである。

「どうだね」
「どうだねってなんだよ」
「どうしてるんだと聞いてるんだ」
「問題ない」
「問題あるだろう」
「普通だよ」
「君、太ったな。この腹のメタボ具合は見ていられない」
「5キロくらいのもんだ」
「ダメじゃないか。何を食ったらそんなになるんだ」
「何でもうまくてね。わかってはいるんだが」
「痩せろ」
「その気はない」

東京にいればこんなふうになる。
味も素っ気もない。
逃げ場を作っていない。
追い詰める会話が東京弁だ。

下関弁だとどこにでも逃げられる。
やさしいんだよ。
そのうちどーにかなーるだーろーおー、で成り立っている。

おまけにイタリア語が混じっている。
正確に言えば、イタリア語っぽい。カッペリーニはパスタだが、あれと同じ調子で発音すればよい。「リー」を強く発音する。

「痩せりーね」
「太りーね」
「座りーね」
「立っちゃりーね」これは席を譲る時とかだな。
「食べりーね」
「吐きーね」これは「り」抜きだな。

これみんな、「ね」抜きでも成立するのだが、付けるとより優しい促しのニュアンスが強くなる。
このような下関弁を聞いていて「なんか下関弁ってイタリア語みたいやね」じゃなくて「イタリア語みたいだね」と家族に指摘され、なるほどと思った。
下関出身の友人に話してみたところ「うちでもそう言われよる」と答えが返ってきた。

あまり知られていないが、下関から幕末、イタリアへ10数人の若者が密航している。
彼らはイタリア語の語尾の発音だけを学んで帰ってきた。
というのは嘘。そこまで下関人もバカではない。
下関弁が話せるとイタリア語があっという間に上達するということがあればいいな、と思うが、そんな話は聞いたことがない。下関でイタリア語なんか耳にするわけがない。
残念。

イタリアでは日本人の男はすごくモテルと赴任者の集まりで噂になっていたが、誰ももてたという経験がなかったので、きっとガセだ。イタリアでもてている女性はたくさん知っているんだけど。

何でも「りーね」を付けると下関弁になると思い、嘘下関弁を話したがる人間がいそうだから忠告しておくが、そんなに甘いものではない。「りーね」をつけることで、動詞が変化することがあるくらい奥深いからへたに真似すると怪我するぜ。

「買ってあげなよ」を「買っちゃりーね」と真似をする連中がいる。それで喜んでいるが、間違いだからな。
「こうちゃりーね」が正しい。

これはイタリアだ。
下関弁は通じない。