小説を書く

頭の回転スピードがのろい。
再び可愛い二日酔いだからだ。
やはり月一でこんなことになる。
さあ、ここで引き上げよう、と全く思わなくなる境界線が私の場合チョークくらいでしか頭の中に引かれていないので、誰かがサササっと手でこすっただけで消えてしまう。誰かじゃなくて自分で消しているという説も有力だ。

ネタが浮かばない。
二日酔いのせいなのか、単純にネタ切れなのかわからないのだが、二日酔いなので深くそのあたりを追求する気になれない。
ネタ切れだと困るな。

切れてないか。あれもこれもと書くことはたくさんあるが、そいつらを書くと、小説が書けなくなるからだ。芥川賞がもらえなくなる。あれは短編、中篇が対象だから簡単に書けるように思わせる仕組みになっている。100枚くらい書けばいいんじゃないの。

これまでこのブログで書いた分量はおそらく少なくとも800枚弱くらいにはなるはずである。芥川賞チョロイぜ。直木賞でも山本周五郎賞でも三島由紀夫賞でもいいや。このまま応募させてもらえないものか。
ブログじゃなくて、ブログの体裁をとった斬新な形態の小説。その駄文の連続に隠された主人公の意図とは。

手に汗を握らないことは保障するが、こんなバカもいるんだと安心するネオマジックリアリズム
そんな企画書を誰か書いてよ。企画会議に出してみてよ。

いかん、いかん、小説を新たに書く話をしているんだった。
もうタイトルは三つは決めている。

「ブラリンピック」
「クリプトン」
「岡部」
「現地の人々」
「バンドとストリーキング
「ヴァーラーナーシー」
「バクタプルの娘」
カシミール絨毯」
「インド夜想曲
「片付かない部屋」

驚いたね。三つとばかり思っていたのに、こんなに出てきた。
しかし、この中にすでに使われているタイトルが混じっちゃったな。
同じタイトルの本なんてたくさんあるからいいか。
間違えて買ってくれる人もいるかもしれない。

実は上記の小説の芽はすでに今からでも書き始められるくらい構想は出来上がっている。
頭の中からコピペするだけだ。

BOOK BARの放送中、杏さんに「今年は小説を書く」と数年前に宣言したことがある。
あれは頭の中に書くという意味だったのだが、みんなそこのところを誤解していて、「大倉さん、小説はどうなったんですか」と聞いてきて、困惑している。
コピペするだけなんだから、すぐに仕上げるから待っててよ。

もう一度タイトルをよく見たら、みんなブログのタイトルみたいに読めるな。
しかもすでに書いてしまったものも混じっているような気がする。
気のせいだろう。二日酔いだから、そんな妄想も浮かんでくるんだろう。

8月中旬くらいまではなんやかんや忙しいが、そのあとは暇になる予定である。あまり暇になっても困るのだが、小説を書く時間はできる。
100%の自信があるので、期待していて欲しい。
二日酔いでない限り、絶対にこんなこと書けないぜ。

これが「ヴァーラーナーシー」の表紙の写真ね。