カレーと牛筋であわびとサザエを釣る

昨日、二日酔いで書いたことにつきましては、本人覚えがありませんので一切責任が負えません。よろしくご理解ください。

夜、下関のミキちゃんの息子が飢え死にしそうになっているのではないか、と心配し自宅に呼んで貧乏な家庭ならではの安くて手軽なものをたくさん食べさせようという会を開いた。
ミキちゃんの息子はガキのころは鼻を垂らした下関弁丸出しのほとんど動物のような生き物だったのだが、今は一人で東京にやってきて、「下関弁が話せなくなってしまいました」と親が聞いたら泣くぞ、というようなことを背筋を伸ばして言えるような立派な大学生になっている。

そんなわけで、うまいけど決して豪華ではないというものを用意して待っていた。
葉っぱ。ポテサラ。韓国のり。牛筋と卵とコンニャクのみのおでん。カレー。
胸張って並べるようなものではないが、これで普段の食事としても私は充分満足である。

大人と学生は少し差別する。大人が来ることはほとんどないが、来ることになれば、フォアグラだの松阪牛くらいは出すだろう。これまで一度も食べたことがないので、どんなものか知らないが、少し仕事でも出してやるか、という気になるんじゃないかな。接待だな。自宅で接待。来ないな。来なくてよろしい。

息子はなにやらクール宅急便の発砲スチロールの箱を抱えてやってきた。
嫌な予感が。ふふふ。嫌な予感は嬉しい予感とこの場合は同義語である。
ミキちゃんは優しい奴で、東京に来る時は必ずお土産を持ってくる。
昔は「そんなことするなっちゃ」と言いながら、ありがたくいただいていたのだが、最近は「あー、こりゃ、えーもんもろうた」と遠慮なく手を出している。悪い癖つけたよ。私に悪い癖つけるとろくなことにならん。

正直、カモがネギしょってくる、この場合はネギがカモしょってくるが気持ちには合うか、とは思っていなかったので戸惑いつつ、親が送ってきたものをつき返すわけにもいかんなあ、と逡巡していたら、台所ではボックスをガシガシ開けている。

中から財宝の山が出てきた。あわびふたつに大量のサザエである。
これはいかん、さすがにまずいだろう。
こっちは牛筋とカレーだぞ。どう考えても釣り合いが取れない。
こっちが頭を下げることになってしまった。

日本昔話みたいなことになっている。貧乏な正直者が最後のおむすびを飢えたふりをした子供に「ほら、お食べ、よーく噛んで食べるんじゃよ」と渡すと、子供は観音菩薩に早変わりし、「そなたたちはよき行いをした。宝くじを当てて上げよう」ってなもんである。
ありがたや、ありがたや、これからは生活に困ると観音さまが何でもしてくれるに違いない。

ミキちゃん、奥様、今後は決してこのようなことはなさいますな。
大倉はつけあがる生き物にございます。
ミキちゃん本人が来る時だけなんぞ面白きものを、ほんの少しだけお持ちください。

いや、気が変わった。本当になんもいらん。
下関に行った時にあのスナックに連れて行ってくれればええ。
あのスナックな。頼む。

夏はこんな花が咲いている下関。きっとどこでも咲いてるんだろうけど。下関で見るたびに、なにやら心が騒ぎ、淋しくなる。