英語の勉強6

昨日、ロンドンの現状報告をいたしましたが、実はいまだにほんまかいな、と疑問に思うところもあり、オリンピックが始まったらどんな混乱が待ち受けているのか楽しみで仕方ありません。
そろそろオリンピック目当ての観光客が入ってくるはずでございます。
ロンドンの連中がもろ手を挙げて歓迎するのか、やっぱりふざけんな、になるのか考えただけでうずうずしてきます。

というわけで、久々に「英語の勉強」の続きを。

ロンドンに赴任して、「なんだ、そのドイツ語みたいなカクカクした英語は」と電話でも、対面していてもなんだかよくわかんないよー、の状態が続いていた。しかし、考えてみればはっきり発音しても嫌な顔をされないのだから、どちらかといえば日本人に向いている英語なのである。
まるっきり単語の意味がわからないということもあるが(例えば前回のようなポジフィルムとトランスパランシーのようなもの)、それは覚えればいいだけのことで、発音自体でそれほど苦しめられることはない。本当はあるんだけど。

ひとつだけ例を挙げれば“Touch wood”という表現がある。会話の中でよく出てくる。「こうなるといいよねー」ってなことを話していると、木でできたものをあからさまに触りながら“Touch wood”と突然笑顔で一言放つのである。
「木を触れ」「???」何言ってんの君は、ということが重なると、さすがに放っておけず、イギリス人の同僚に聞くとそりゃ「そうなりますように」のおまじないのようなものだという。
「なんで?」
「なんでと言われても、そういうもんなんだよ、“Fingers crossed”とおんなじ」
これも不思議な習慣で人差し指と中指を交差させてそう言うのである。

一度種明かしされるとやってみたくなる。
「この見積もりが通りますように」
“Touch wood”とやると、お、こいつめ、という感じになって、怒涛の英語でやっつけに来るので、使うときは会話の最後に言って、すぐに逃げられるようにしておいたほうがいい。
相手も笑顔で“Yes, touch wood”となりゃこっちのもんである。

辞書を引くと「厄払いの言葉」と出てくるが実感としては、「お願い!」のニュアンスのほうが強い。

この一見簡単に聞こえる“Touch wood”であるが、気をつけないと全く通じないことがある。
woodのwは立派な子音なのである。「ウッド」というと誰でもわかってくれて当たり前のはずなのだが、それだとoodでもよくなる。そんな単語ありませんが。wの発音は口をチューの形にしてから「ウーッド」のようにすると子音が発音されたと聞こえるようで、ようやく「あ、木のことね」とスーパー気鬱になるよな「悪い悪い、お前日本人だもんな」という笑顔で反応される。
日本語で「わ」と発音する時はまず口尖らせてるでしょ、あれです。

タイガー・ウッズと言うときも、アメリカ人、イギリス人と話すときは気をつけてね。
タイガーが付いているから、「誰」ということはないだろうけど、あいうえおの「う」で発音するとこいつは英語話せない、と見破られる。

そんなこともありまして、自信を失うばかりだったころ、「大倉、カラオケ行こうぜ」と誘われた。実は赴任してすぐのことなんだけど。当時のロンドンのカラオケ屋さんはすべてキャバクラカラオケで隣にお姉さんが付いてくれる。
お姉さん方はプロのキャバ嬢ということはまずなくて、学費稼ぎのアルバイトをしているケースがほとんどで、いわば素人さんである。昼は必死で勉強していることが多い。大学出て、年収数億円の弁護士になっちゃった方もいた。

日本人もいるが、その方々は英語学校に来ていて1日数時間であれば働いてもよろしい、というホームオフィス(入管のようなところだと思ってください)が許可を出している。
話がずれるが、そんな約束守っちゃいなくて、何時間でも働いていたり、許可なしだったりすることも多く、毎月一軒くらいはホームオフィスに急襲されて、女の子は強制送還され、店は1ヵ月営業停止になったりする。華やかな時代であったことよ。

で、ですね。日本人と話をしても全然面白くないので、イギリス人をお願いするのだが、そんなに多くない。東欧から来ている女性が多い。チェコポーランド、旧ユーゴ諸国等々である。じゃ、英語はダメなんじゃないのとお思いだろうが、かの地はそんなに甘くない。大学で法律を勉強したり、必死で働いているので、アクセントはあるが我々日本人とは比べものにならないくらい立派な英語をお話になる。

彼女たちを相手に酒を飲み、歌っているとどんどん英語が上達していく気がするのである。
酒の力はでかい。間違えても間違ったということに気が付かず、急に俺ペラペラになっちゃったなあ、と勘違いするのである。これは必ずしも悪いことではなく、間違い自体はイギリス人はそれほど気にしない。出鱈目英語だとさすがに眉間にしわを寄せるが、少々のことは理解する。それよりも話が途切れて、何のことだかわからなくなるのを嫌がる。
とにかく話し続ければいい。

「おんや、俺は何の話がしたかったんだろう」と考えてしまった時は、不自然でなく話を意味なくつなぐ話法は山のようにある。それをとりあえず口にしといて、突破口を見つければいいのである。

と、簡単じゃん、と思わせるよなことを書いたが、当然簡単ではない。
話せるようになったと思うと、落とされる。
ペラペラ寸前と満足していると幼稚園児よりへたなんじゃなかろうかと愕然とする。
そんなことが何十回あったであろうか。何十回カラオケ屋に通ったであろうか。
楽しく立ち直ったり、どん底を見たり忙しいったらない。

これ、まだ続きます。

こちらパリのチュイルリー公園の一部に設置されていた移動遊園地。当時はパリのエージェンシーに行っても、何言ってんだかわからいことが多かった。