肩書き

お仕事を細々ながらさせていただいている。
だから、一般常識のある社会人としては、Tシャツだろうが、サンダルを履いていようが名刺は常に持ち歩き、両手でキチンと差し出しながら、ご挨拶ができる。
「大倉と申します。よろしくお願いいたします」、渡す前にひょいとほんの少し名刺を持ち上げるのが流行っているんじゃないかしら。頭を下げつつ、名刺をクイッと上げる。日本人にしかできない芸当でしょ。

かつてのアメリカ人はひどかったよ。
まだアメリカで名刺が一般的でなかったころ、日本人が名刺を交換しているのを見て、なるほどこれは便利なものだと彼らも似たようなものを持ち歩き始めたのである。
ところが、我々が握手をしてナイス・トゥ・ミーチュの挨拶をしたあと、おもむろに名刺を「私は大倉でございます」と差し出すと、片手でもらっとくぜ、と受け取り、全員の名刺をギクシャクしながらも集めると、名刺の束を持ち出し、ブラック・ジャックのカードを配るように机の上に投げてよこすのであった。

名刺の受け渡しに全身全霊をかける日本人にはショックだったな。
たかが名前と肩書きの書かれた紙なんだから、そんなもんでかまわないんだろうけど。

しかし、私は今でも日本人の心意気を持って、この業界においてもご挨拶させていただいている。
困るのはそのあと。

私の名刺には名前と住所・電話番号以外書かれていない。
別に俺様を知らないわけないだろうと偉ぶっているわけではない。
誰も私のことを知るわけがないことは承知している。
ただ、相手は名刺を見て困惑する。
仕事がラジオの場合はラジオの話をしているし、原稿を書く話であれば、日本語書けますよ、という態度で接しているので、打ち合わせ事態は問題なく進むのだが、一段落すると、「それで、大倉さんは何をされているんでしょう?」と嫌味なく問いかけられると、本当に困る。
本人にもよくわかっていないからだ。

現在の仕事はなくなればそれまでで、例えばラジオのパーソナリティをやっていますといったところで、番組がなくなれば、その肩書きは終わってしまう。
その前に、ラジオのパーソナリティ、ふん、ふん、それで?ということが多々ある。言外にそれだけで食っていけるわけないでしょ、の疑いを持っていることが丸わかり。
現実的にはそれだけのこともあるし、そうでないこともあるが、これが俺の本来の食い扶持だ、と胸張って言えるようなものがない。

フリーランスでやっています」と言ってごまかすこともあるが、フリーランスと言っても何かの仕事をフリーランスでやっているのが普通で、仕事の中身までフリーであるということは通常はないのである。「まあ、色々と」と強引に納めていただくようにすることが多いのだが、相手の顔には「納得」の文字は浮かんで来ない。

まずいなあ、と少し思っている。
こんなことだからしばらくはラジオ番組でも「旅人」と肩書きのようなものをつけられていたことがある。「大倉さんはそう呼ぶしかないじゃないですか」と言われりゃその通りかも、と思ってしまったのだが、旅人で飯食っている人間はいないわけで、番組を聴いている方々は「いい加減な野郎なんだぜ、きっと」と勘違いされていたのではなかろうか。勘違いでしょ。違う?

私のことを知っている人間からも、「大倉さんの肩書き、どうしましょうか」と本気で悩んで聞いてくる奴もいるから事は深刻さを増してきている。こうなったら会社を作って「社長です」と言ってしまう手もあるが、そうなりゃそれで「ほう、どのようお仕事を?」と聞かれてしまうので同じことだ。

私は電話の応対が非常によいので感心されることが多いが、大きな会社に電話して、知らない人が出るととても面倒である。

「大倉と申しますが、宇治さんいらっしゃいますでしょうか」
「失礼ですが、どちらの大倉様でしょうか」
かつては「無職の大倉です」と答えてやろうかと思った時期もあったが、大人になったので「フリーランスの大倉です」と答えるようにした。しかし、反応は全く同じである。電話だと無職もフリーランスも同じなのである。

会社を経営していた時、やたらと「不動産買いませんか」、「大倉さん、今、石油価格がすごいことになっています」、「会員制ホテルが今なら」とかそんな電話が1日何本もかかってきて、いちいち「あー、全く興味ないす」と応対しなければならなかった。「わけのわからない電話は取り次がないで」と頼むのは当たり前のことである。

であるから、フリーランスの大倉の電話を取り次ぐ秘書はクビにしたほうがいい。

最近あみ出したのは「友人です」ときっぱり言ってのけることである。「どちらのご友人ですか」とは聞きにくいものである。意外にこれは通りがいい。
私は知らない人に「友人です」と言って電話をすることはないので、信用してもらってかまわない。

明治維新のころは、「長州、下関の大倉じゃ、仕事をくれ」ですんでいたこともあるらしい。
あのころ生まれてりゃこんなに困ることはなかったが、フリーランスで仕事をしたい私にはやはり不都合だったかもしれない。

いつか「旅人の大倉です」で何でもすんなり了解してくれる日が来るなんてことはないだろうか。
タール砂漠のラクダの群れ。