本日トーク&スライドショウでございます

今日は「私的Found MUJIラオス、インドの旅のトーク&スライドショウが催されます。
と紹介しても、すでに抽選で来ていただける方は決まっているので、こうしてお知らせする意味はないんじゃないか、と思いながらもこのような人前に出るようなイベントは本当は極端に苦手としているため、自分を追い込むために書かせていただいております。

自分を追い込んでどうするんだろう。
緊張で頭が真っ白になってしまってはわざわざ足を運んでくださった皆さんに申し訳が立たない。なんてことを思うとますます追い込まれてしまう。

中学生の時に英語弁論大会というのに学校代表で無理やり出場させられたことがある。
弁論大会と銘打っているものの、ただ教科書を暗記して壇上でそれを吐き出すだけなので、弁論でも何もない。暗唱大会である。暗唱は苦手なんだよ。忘れるじゃん。

居残りで先生と一対一で暗唱と発音の練習を毎日やらされたのだが、何回やっても覚えないもんだから、先生は怒るよ。怒られても先生は怖くはないのだが、忘れてしまう、という恐怖がさらに募ってきて、デフレ現象が起きてしまう。消費じゃなくて気持ちが縮小していくのである。
皆さん、私のような小心者を相手にしている時は気をつけたほうがいいですよ。

いまだに出だし覚えてるぜ。
“I am going talk about the animals.”
その先も内容も全部忘れた。
しかし、あの屈辱は40年以上経った今も頭にこびりついており、私は年に一回「あーーーーー!」と大声を上げて枕に顔を埋めてしまう。これはPTSDでしょ。
あれが原因で人前で話ができなくなっちゃったんだよ。

どこだか別の中学校に出場者は集められ、そこの中学生徒全員の前で「弁論」させられるの。
人がやっているときは、全然緊張しなくて、隣のやつが「緊張するねえ」とそわそわしているのを見て、笑ったりしたもんだ。ところがその緊張男が何の問題もなく壇上で仕事をこなして帰ってきて、あと二人で私の番というぎりぎりになって、突然金縛りにあったような緊張感に襲われた。
ずーっと緊張していれば、緊張に慣れてどうということもなかったのかもしれないが、もう時間がない。突然の緊張は筋肉を硬直させる。カチカチになって壇上に上がったんだろうが覚えていない。

“Honorable judges, I am going to・・・”
と、おっ!出だし好調、すらすら内容なんて意識せずに、ただただ覚えている単語を繰り出していった。中盤で一度噛んだ。このころから噛み癖はなおらない。
しかし、一度噛んだくらいじゃ問題なかろうと、邪悪な思いが頭をよぎった瞬間に固まってしまった。緊張と邪悪な心は人間の天敵である。

固まったというのは、頭が真っ白になり、一体どこにいるのだかわからなくなってしまうことである。ピタッと思考が停止した。次の単語がどう頭をひねっても出てこない。
最初中学生たちは、間を取っているのだと思ったらしい。馬鹿だね、君たちは。全部忘れちゃったんだよ。で、どうした?という顔をしてたのだが、私が正面を向いたまま微動だにしなくなったので、こりゃ忘れたんじゃないかと理解し始めた。

「あいつ忘れたんやないか」
「忘れたど」
「どうするんかいのー」
「ずっとこのまんまか」
そのうちクスクス笑いが聞こえ始めた。会場全体がざわつき始めた。

そこで、私はとっさの機転をきかせて、英語で「皆様、大変失礼いたしました。いよいよ新郎新婦の入場です」と、やっていた。ということでもあれば、最下位は免れないだろうが、多少の矜持を保てたと思う。
しかし、当時、そんなこと英語でどう言うかなんて思いつくわけがない。

5分くらい、ただつっ立っていたのち、私は禁断のページを開いてしまった。文字通り、教科書のページをめくったのである。きっと審査される方々もほっとしたろうな。向こうも「どうなる」と心配していただろう。
もう安心して良いですよ。頭に次の単語が浮かんできましたから。
その後は特段変わったこともなく、終わってしまった。

10分で10歳年取った。
その後、起きたことは覚えていない。
先生から怒られたか、慰められたか、無視されたか、全然覚えていない。

しかし、あの壇上で固まってしまった時の屈辱感は依然私の心の底でくすぶっており、たまにマグマのように突然の絶叫となって噴出す。間欠泉のようなものだ。

どうだ、今日は大丈夫か。
大丈夫じゃないかもな。
へへ、呑気だね。
よしこれで行こう。
へへ、呑気だね。

このブログ読んでくださっている方で、来てくださる方がいたらお願いがございます。
壇上で固まったら、「中村屋!」と掛け声を。「中村屋!」の掛け声で会場が埋め尽くされれば、こそっといなくなりますから。

写真のような気持ちにならないようお祈りしとこう。誰にだろう。