ブラリンピック

私は中学生のころからバンドをやっていたが、念願であった中学生デビューは果たせず、どういうわけか今も全くレコード会社から声がかからない。
欲のない人たちばかりである。レコード売れないでしょ。

世界で通用するよう、ぼろ儲けできるよう、英語でオリジナル曲を100曲以上書き溜めていたので、こちらはいつでも準備できている。
レノン&マッカートニーだと売れたから、Toshiyasu & Shinichiroとクレジットをつけた。読みにくい上に、実際は稔康の書いた曲がほとんどだったので嘘なのだが、私が作ってない分、今当時のデモテープを聞いても「行ける」と感じる。
どうもバンドやってた連中はみんなそう思うらしいが。
音楽事務所の方々、レコード会社の方々、早い者勝ちですよ。

中学校を卒業してもバンドのメンバーは変わらず、ほとんど週末は一緒に過ごしていた。
日曜は基本的には練習だったのだが、のりが悪い時、祭日などは別の遊びを覚えて夢中になった。
ふふ、俺もかなりのワルだった、という話である。

それがブラリンピックである。
土曜、オールナイトニッポンを最後まで聞いて、一睡もせぬまま薄暗い町に自転車でこぎ出る。
寝ていないからハイである。
下関の日曜早朝なんて車なんか全く走ってないので、町中を暴走しまくる。キャーすごいワルだわ。あの風を切って走る気分は経験したことのない人間にはわからない。
自転車なんだけど。

明るくなってきたところで全員の母校、生野小学校へ。
当然誰もいない。
だから行っているのである。
ブラリンピックのために。
我々はブランコが大好き。
しかし、中学校、高校にはブランコがない。あったらおかしい。
昼間は小学生が邪魔をするので独占できない。この時間はこぎ放題である。

最初、どうしてもリードギターの人間だけブランコがこげなかったので、そいつへの特訓から始まった。
ブランコがこげない人間がいるのか、と不審に思う人もいるだろうが、世の中は広いもので、ちゃんといるのである。前に出る時は足を伸ばし、前に出きったところで、足を折る。
一ヶ月くらいかかったであろうか。
練習の成果が出て、彼も立派なブランコアスリートになった。

全員がほぼ同じくらいブランコに乗りこなせるようになって、ただ、こいでいるだけではつまらなくなった。
ブランコを競技にすることにした。
こいでいるだけではどうしてもどのくらい高くまでこげるか、くらいの競争にしかならないので、やはり飛ぶことにした。
誰が一番遠くまで飛べるか。
普通である。
普通が一番基本でそれなりに盛り上がったのだが、
体操のように種目を増やし始めた。
その時点でブラリンピックと命名した。

座り遠距離飛び
立ちこぎ遠距離飛び
足こぎなし遠距離飛び
立ちこぎ遠距離飛び

座りこぎ回転ひねり飛び
立ちこぎ回転ひねり飛び
座りこぎ高飛び
立ちこぎ高飛び

当然、投げ技も。
座り靴飛ばし
立ち靴飛ばし

他にもどうでもいい種目を作った気がするが、覚えてないので自然消滅したのであろう。
月面宙返りとか入れてなくてよかった。
きっと誰か骨を折るか、死ぬかしていたはずである。
ともあれ、それぞれの種目に点数をつけて、総合点を競うのだ。
いや、もうアニマル浜口どころではない盛り上がりである。
朝5時半くらいから2時間くらいかけてのハードな競技である。
それに寝てないもんだからテンションは上がるばかり。

ある朝、おっさんが寝巻きのまま頭を掻きながら、競技場に近づいてきた。
仲間に入りたいのかとコンマ一秒勘違いしたかったが、やはり違った。

「まだ、朝6時半やど。うるさい。お前らだけの世の中やないんやけーのー」
まっとうである。
おっさんがいなくなってから、
「なに言いよるんか」
「ええ加減に起きれっちゅーんじゃ」
と小さな声で罵倒してみたが、
もうしょぼくれてやる気がうせた。

それが最後のブラリンピックとなり、復活することはなかった。
今、55歳のオヤジたちがやっていたらどんなことになるんだろうか。警察来るかな。

オリンピックを見ていて、こんな競技もあるんだと驚くことがある。
きっと我々のブラリンピックのように、これも面白いかも、とバリエイションをつけて増やしていったのじゃなかろうか。
なんとなく判る気がして、嬉しい。
という話と、俺がかなりのワルだった話でした。

ラオスルアンパバーンメコン川で泳ぐ子供たちも何かきっと競技を作って競っていると思う。