「あんたのお母さんは鳶かね」

大学生諸君、秋からの飲み代を稼ぐにはアルバイトだ。バイトで汗を流そう。酒もうまくなる。
私も働いた。ほとんど肉体労働系であった。
大学は付け焼刃で入ったものだから、英語以外家庭教師といっても教えられることがなかったからである。

ところが、ある年の夏休みにラッキーなことに、英語だけ高校生の美少女二人に教える機会があった。あれはこれまで生きてきて一番幸せな仕事だったな。仕事に行くのが楽しかったもん。そんなことって普通ないよ。私の場合。

もうあの美少女たちも立派なおばさんである。
偶然出会って、文句を言われても恐くない。文句言わないでほしいけど。
考えてみれば現在の私の娘よりも年下だったな。
それでどうということもないが、何だか感慨深いものがある。

そんなわけで、ほとんど毎年、夏は軽くタオルを絞るだけで汗が滴り落ちるくらい、肉体労働に終始した。
あんなことやっててもギックリ腰にならなかったのはやはり若さのおかげだ。今頃つけが来た。

大学一年の夏休みは親のコネで工務店で1ヶ月過ごした。
通常アルバイトにコネがあるのかどうか知らないが、私の場合は強力なコネ。
そのおかげで大事に扱われるのかと思ったら違った。

一緒に働かせていただくのは最初はちょっと恐い職人さんたち。
職人さんたちとツーカーの仲で、仕事の手順をすべてわかって、バイトの仕事を取り仕切っている水産大学校の学生たち。
よそ者は私と私より一年上で上智大学に通っている学生。
これが困った。
私はどうしても根がまじめなので、与えられた仕事は全身汗でずぶぬれになっても必死でこなそうとする。その一年上の上智の学生は同じ高校出身だったこともあり、先輩風を吹かすのだが、まるで仕事をやる気がない。
小学生だってもう少し真面目にやるだろうが、とは怒鳴れない。

「もうこの辺でいいよ」
「いや、まだ全然できてないでしょう」
「いいんだよ。適当で。だれも見ちゃいないんだから」
バカ、見てんだよ。プロは。
最初そいつと組まされた時は中途半端な仕事ぶりに社長も怒り、当然私も同罪扱いである。

ほとほと嫌になって、プロのバイトの方々と組ませてもらい、ようやく真面目に仕事に取り組めるようになった。
その上智野郎は3日で「やってらんない」ということでいなくなった。
別に上智大学の悪口言ってるんじゃないですよ。
そのバカの名前を覚えていないので、便宜的に大学の名前を使ってわかりやすくさせていただいているだけです。
どうしてんだろう。あのサボリ坊主。
名前を覚えていてもここじゃ出せないか。

仕事は異常にバリエイションに富んでおり、とんでもなく根の張った木の切り株を掘り起こす。
馬鹿でかいレストランの地上10数メートルある屋根の上に据え付けられた金のシャチホコを塗りなおす。
内装で壁に塗る素材を混ぜて、塗りやすい量を職人さんにコテで渡す。
しまいにゃセメントをこねていた。

高校のときの同級生が通りかかり、
「お前、何やりよるんか」
「セメントこねよる」
そんなやり取りもあったなあ。
多分その仕事に向いていたのだと思う。

ある日、黙々とセメントをこねていた。
その頃には他に混ぜるもの、水の量なんかも身体が覚えていて、我ながらやるもんだと心の中で自分を誉めてやっていた。
すると横で私のコネ具合をじーっと観察していた職人のおばさんが感心したように言ってくれた。

「あんたのお母さんは鳶かね」
何のことかわからなくてボーっとしていたら、もう一度
「あんたのお母さんは鳶かね」
「あっ、いえ、普通の主婦です」
「ほー」
と驚いた顔をして持ち場に戻っていった。
お母さんが鳶の子はセメントをこねるのがうまいのか?
ちょっと飛躍がありそうだけれど、誉められて大変誇りに思いました。
もう今はセメントをこねると間違いなく腰を痛めるが、そんな才能もあったのだなあ。
あそこでバイトしなければわからなかったことである。

バイトで稼いだ金で旅に出るのもいいいぞ。
ネパール、バクタプルの朝市。