絵を描く

友人がFBにいい話を書いていた。

絵の先生が娘の絵に手を入れて修正し、娘さんは落ち込んで「自分の絵じゃない」と嘆いた、という始まりから、色々な方が、「それはないぜ」「でも技術を上げるには」とか自分のことのように真剣に考えてコメントを寄せていた。こんないい話を皆さんFBに書けばいいのに。
シェアしておいたがどのくらい広がるかな。
コメントの最後に娘さんの拍手喝采の言葉が紹介されているけど、コメントまではシェアできません。
感動しました。
想像してください。

で、私にも似たことがあったことを思い出した。
最初の話は似たことじゃなくて親への不信をはじめて実感した時のことね。

小学一年生のとき写生大会があった。
どの学校でもありました。
絵なんて興味もなかったし、自分がどんなものを描いたかも思い出せないんだけど、いきなり金賞を取りました。講堂に金ぴかの星と金賞と書かれた札がかかっていたので、心底びっくりした。

何故それが金賞になったのかはさっぱりわからないんだけど、誉められていることだけは理解したので、大喜びして自宅に走って帰り、両親に「金賞だった。すごい、すごい」と爆発的な勢いで報告するわな。両親も驚いて、それはすぐに見に行かなくては、となると思うでしょ。
ならなかった。

「なにゆーとるんかね」
「そんな出鱈目ゆーんやない」
「嘘をつくな」
「見間違い」

小学一年生の心は激しく傷ついた。
喜びは怒りに変わり、そのうちもしかしたら本当に見間違いだったのかも、と自信がなくなってきた。
不安ながらも、いや絶対金賞だったと、とりあえず言い張り、親を無理やりつれて行った。
金賞だった。
「本当やったねえ」
「そんなにこの絵がええんやろうか」
誉めろよ。
誉めて伸ばせよ。
君たち教師だったり、精神科医だったりしたじゃん。
そういうことがへたな親だったな。
今こんなに性格が捻じ曲がっているのは、あれが原因なんじゃないかな。

その後も普段描く絵はうまくないのに、写生大会でもう一度金賞を取ったことがある。
そのときは「おー」くらい言ってくれたような気がする。
父親が絵を描き始めたのは、最初の金賞をとった後だったから、私の影響なのに。

そんな絵の才能は小学生で消え去ったが、もっと誉めてくれてりゃな。
今頃は町のゴロツキだ。

二度目もやはり小学生の時だったと思う。
自宅の庭を描いた。
小さな池があった。
自分が見ているところからは、水は池の苔の色が見えたり、木を映していて、どうしてもどんな色でも水面を描けない、と頭を抱えた。
そうだ、透明な絵の具があればいいんだ、とすごい発見をした。
「透明な絵の具はないんかね」
「そんなもんがあるわけないやろ」
確かにないな。
あえて該当するものといえば、水か。
水をそのまま塗るか。
そうすると白いままじゃん。
白い池を描きたいわけじゃない。

「あー、わかんなくなっちゃったよ」
のた打ち回って、半ばやけくそでピンク色に塗ってみた。
なんとなく落ち着きがいいので、それで提出しようとしたら、母親からそんな色がどこから出てくるのかと問い詰められた。「やけくそだ」ともいえないんで、「そう見えた」と嘘をついた。
ピカソがヘンチクリンな顔の女性を描いているんだからいいじゃん、くらいのつもりだったのだが、これが大論争に発展していった。

こいつはどこかおかしいんじゃないかと思っちゃったらしい。
美術の先生のところに連れて行かれて、「池をピンクに塗っているんですが、おかしいですよね。池はピンクじゃないですもんね」と先生を追い込む。
ピンクなわけないじゃん。
俺だっておかしいと思ってんだから。
ただ、ここまで来て後には引けない。
「ピンクでいいと思います」
先生は「まあ、ピンクに見えることもあるでしょう」、となんとこっちの肩を持った。
驚いちゃったよ。美術は自由だよ。

母親は大混乱して、「ピンクの池でええんかねえ」と何度も首をひねる。
おかしいんだよ。母親よ。
私もあなたに一票だ。

しかし、この一件以来、「そうか、俺は自由なんだ」と勘違いしてしまった。
社会人になって、赤いチャンチャンコまで5年になっても勘違いしっぱなし。
それでよかったような、違う道もあったような。
後戻りできないのが、人生の醍醐味だ。
これからもこれで行きますから、よろしくお願いします。

皆様は池をピンクに塗りますかね。
子供に許しますか。

でも、この海は時間によっては、ほら、ピンクだ。