老眼と白内障

まだ36なのに老眼になってしまった奴がいる。
私は40超えてからだったな。
いきなり老眼になるはずがないので、少しずつ見にくくなっていたはずなのに、老眼だ、と気がつくのはある一瞬のことだ。気がつくということはすごいことだな。新たな自分の発見である。それを一瞬で理解するんですよ。
「人間ってすごい。老眼に気がつく」
相田みつをみたいなことを言ってみたかったけど、そうなってないな。
「老眼だ、うれしいな」
これも違う?
「老眼で、いいんだよ」
これは少し近くなった?

最近相田みつをごっこを10分くらいやってみました。
一時的に爆笑するんだけど、飽きるね。

実は老眼に気がつくのは一瞬のことだが、その前から予兆はある。
まだ大丈夫だと自信満々の方はここ読んどいた方がいいよ。

本を熱中して読んでいて、声をかけられ顔を上げると呼び声の主の顔が最初おぼろげで、じんわり輪郭がはっきりしてくる人。もうすぐ私たちの仲間入りだよ。それが来たらもう引き返せない。そのうち本がだんだん目元から離れて行っていることに気がつくよ。そこからは坂を転げ落ちるような速さで事態が変化する。その過程で「老眼だ!」と気がつくんだよーん。

ちっとだけ面倒だが、私は老眼に気がついて、「なるほどこういうことか」と新しい天体を発見したような楽しさを味わった。もっとやばい病気で入院したことがあるが、老眼の場合は命取られるわけじゃないから「へー!!!」ですむ。

そんなことを知っているから若くして老眼になってしまった友人を大笑いしつつ、「老眼で、いいんだよ」と相田みつをを演じていた。
しかし、若いと何かと抵抗するもんだ。「えー!えー!えー!」とその事実を何とか否定しようとして騒いでいたが、私の裸眼での焦点距離と比較してみたらほぼ同じだったので、もういくら叫んでも誰も助けには来ないんだよ。諦めて老眼鏡を買いたまえ。私の場合は遠近両用でお金がかかるが、老眼だけだとすごく安いから、得してんだぜ。

という話だけ大声になりつつ打ち合わせをしていたら、あることに思い当たった。

私の母親のことである。
先日、私の池の絵のことでいろいろ言っていたと書いたあの母親である。
あの時はアップする前に、「ちょっと気に障ること書くけど、半ば創作(じゃないんだけど)なんで、勘弁しちゃり」と同意を取っていたのだが、先ほど取材で電話したら怒っていた。
「えーよ、えーよ、何でも書いたらええ」
と快く承諾してくれていたのに女心は複雑だわ。

母親は白内障になり昨年の夏、両目とも手術をした。目の手術なんて恐ろしいことを、と私が震えていたのだが、白内障の手術というのは全然大変じゃなくて、呼ばれると数時間で歩いて手術室から出てくる。もちろんその日に退院で、翌日には眼帯も取れてしまう。
「ああ、霧がかかっていたようだったのに、なんでも綺麗に見える」
「そんなにモヤモヤしとったんかね」
「なんか見にくいと思うとった」
という状態で車は運転しないでいただきたかった。

ともあれ、両目ともすっきりして喜んでいたのはありがたかった。
で、すめば、「めでたし、めでたし」なんだが、事態は変化する。
白内障はもやもやが取れて、世の中が綺麗に見えるのと、多少近眼か、老眼を矯正することはできるという話だったんだけどな。
母親は一切メガネを必要としなくなってしまった。遠くでも近くでも全く支障なく見えるというのである。老眼鏡がないといくら新聞を離しても読めなかったはずなのに。

「なんで見えるようになったんかね」
「わからんのよ」
「全然めがねいらんかね」
「いらん」
「他にそんな人はおるんかね」
「おらん。みんな老眼鏡かけとる」
「特異体質やね」
「そうかもしれん」

ということで、メガネなしで毎日ビリヤード、マージャンにいそしんでいる。
素人の私でもおかしいと思うよ。
虹彩の筋肉が衰えてしまって、見えにくくなるはずなのに白内障の手術だけで老眼が治るというのは、理にかなっていないんじゃないでしょうか。
しかし、母親という実例があるからな。受け入れるしかなかろう。

私も白内障になって手術すればメガネがいらなくなるかも。
そしたら楽なんだけどな。

「人間だもの。なんでもあるよ」
これも相田みつをじゃないな。

実家から徒歩30秒のところにこんなものが掛けてある。