コッホ先生と僕らの革命

毛沢東同士とわしらの革命、って感じの農民蜂起の物語とは全然違いますから、そういう勇ましい映画を期待しないで。

コッホ先生はドイツからオックスフォードに留学していた英語教師。
1874年に名門校、といっても中学校くらいの学校に意気揚々と赴任してくる。ドイツ初の英語教師だという。
しかし、ガキ共は英語の勉強なんてやる気ねーし、保守派の教師たちは「英語だ?」という態度。
秩序、規律、服従が全てのドイツの学校でいかにコッホ先生は頑張っちゃうのか、ということでありますので、いかにもありそうなストーリーでしょ。

しかし、これがサッカーとつながるから面白い。

この映画はある程度実話を基にしえいる。
しかし、この時期、仮想敵国だったとはいえドイツに英語教師がいなかったというのは本当だろうか。あの頃は上流階級では数ヶ国語を話せるのは当然と思われていたような気がするんだけど。
あれは個人教師がついていたとかそういうことなんだろうか。
仮想敵国であれはなおさら英語の勉強に熱心に取り組むべきだと思いますが、いかがな具合だったのだろうか。

日本では1868年から明治時代が始まっていが、英語のお勉強はずっとその前から始まっている。
1808年にイギリス船フェートン号がなんとオランダの国旗を掲揚して長崎へ入港してくる。
そこで歓迎に出たオランダ語通詞をとっつかまえて、あちこち測量して去ってしまった。イギリス人やっぱし悪いな。
しかし、激怒した幕府は翌年にオランダ語通詞に英語を勉強するよう命じている。
ね、敵を知らなきゃいけないんだよ。
どうも怪しげな英語を本で勉強していた様子だが、幸いにも1848年に利尻島に不幸なアメリカ人青年マクダーナル君が漂流してきた。彼は初めて英語を母国語とする英語教師第1号に仕立てられ、やはりオランダ語通詞に英語を教えたのでありました。

というくらい、コッホ先生よりもずっと前から極東の島国でも限られた人間にではあったけど、英語を叩き込んでいるのである。

でも、そんな話はこの映画には全く出てきません。

コッホ先生はあんまり生徒がやる気がないんで、サッカーを通じて英語を教え始めます。
うーん、きっかけは面白いけど、サッカー用語だけで英語教えられるのかね。
どうもおかしいね。
と、もう一度よく調べてみたら、コッホ先生は実際、母校である映画の学校で教えているが、オックスフォード帰りでもなんでもなくて、ドイツの学校で学び、母校に帰ってドイツ語、古典語を教えておられました。

なーんだ、とここで投げ出してはいけない。
こういうのをクリエイティブな創造というのである。

コッホ先生は「ドイツサッカーの父」とも呼ばれていて、ドイツにサッカーを根付かせた偉い人である。つまんない体操ばかりやらせていたドイツ式体育に「チームプレイの育成」「個性と自発性」をサッカーを通じて導入したのである。

アッパレ、アッパレなんじゃない。

だから、英語教師だったという設定もいきてくるのよ。
うまいこと映画を見る人間の心を掴んで、ワクワクさせてくれる。
あーじゃない、こーじゃない、とか細かいこと言うんじゃない。
この映画は見たまま楽しめばよろしい。
私は「あー、面白かった」と宣伝担当の方にまんまお話してしまった。
昨日から公開されています。
サッカーはいいな、と改めて思いました。

最近は田中陽子さんがとてもいいと思います。

ネパールではボールが買えないからか、輪ゴムをまとめた全然ボールじゃないものをリフティングしている子供がたくさんいる。これが結構うまい。小坊主もやっている。