適当の王様、高田純次

高田純次が自分で悲しくなるくらい好きだ。
日本人には高田純次が好きになるという遺伝子が流れているかのように、最近ではCMに出ずっぱり。年取るごとにいい男になっていき、お尻を出し始めた。
普通お尻を出す人間をCMでは起用しないのだが、高田純次の場合は例外扱いになっている。
自分がまだ広告やっていたら使うかなあ。
お尻とは別の理由で使わないような気がするんだけど、とにかく国民的人気があることだけは確かである。私だけのことかしら。

魔が差して東京乾電池に入ったらしい。30歳までサラリーマンやってたのに。
東京乾電池、就職してお金が少し使えるようになってからよく通ったよ。
ほとんどの劇団員が不思議な顔をしていたのに高田純次だけがかっこよかった。

高田純次、一応俳優なんでテレビドラマにも出ているんだけど、これが劇団員だったとは思えないくらい芝居が下手だ。それでも、いい加減な役じゃなくて立派なお父さん役だったりするから、世の中のプロデューサーは何を考えているんだか分からない。高田純次は芝居は目を覆いたくなるくらい下手だが、好きなことをさせると金ぴかに光り始める。

バラエティに出してもダメだな。
あれは流れがきちんと作ってあって、それに沿って役柄をこなさなきゃいけないんで、好きなことできてないか、好きなことやって全部切られているかで、ほとんど番組の中で視聴者を笑わせるようなことを言っているのを目撃したことがない。といいますか、ずっと黙っているふうにしか見えない。

高田純次は「この番組の中ではなにやっても良いですよ」ということになるとギラギラし始めて、私は録画までしてゲラゲラ笑っている。
高田純次にはこれから芝居させないで、人との絡みも少数にとどめといてくれないかな。
絶対それが一番面白いから。

この間まで文化放送の土曜夕方「東京パラダイス」という番組を河井美智子と長いことやっていて、私は欠かさず聞いていたんだけど、月−金にばらされちゃいました。そうなると私も毎日待っていられないんで、全然聞かなくなりました。河井美智子が高田純次の事務所所属なんで息が合っていてずば抜けた面白さだったんだけど、文化放送編成部、何考えてばらした?日本全国のファンが怒り狂ってるよ。
10月編成で元に戻してくれませんかね。

ネット上では高田純次の熱狂的ファンが彼の出る番組を全て見て、聞いていて特に面白いと思った発言をまとめているサイトがある。週に一回それを開いて、心和ませている私だ。もう1500発言を超えている。とても全部は読めないのと、だんだん飽きてくるから適当なところで次回に回すようにしてください。
これがURLです。
http://ww6.enjoy.ne.jp/~are/takada.html

やっぱり動いている高田純次が好きという方はDVDで「高田スザンヌ」というのがあります。
これを面白いと思えない人はとても悲しい人生を歩んでいるから、テストのつもりで見てみて。
スザンヌがどんなお嬢様だ、って見えるから不思議だよ。

高田スザンヌ [DVD]

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「俺も高田純次みたいな生き方がしたいなあ」と思ったら、結構そんな生き方になっているから不思議だ。収入は100倍くらい違うんだろうけど。

本もみんな持っている。
BOOK BARという番組をやっているから、本は破竹の勢いで読む私だが、高田純次の本だけはできるだけゆっくり読む。早く読むと飽きる。面白さが薄れてしまう。
一度だけ高田純次の本を紹介したら、知り合いから「馬鹿じゃないの」と怒られた。

高田純次のすごいところは、ちゃんと仕事してるんだけど、本当に適当にやってるんじゃないかと思わせるところである。本当に適当にやっているんだったら私の目指す生き方そのものである。
そこの見極めがかなり難しい。

必死で適当にやっている、適当なところを狙いすましている、のであれば完璧だ。
私は正論で通そうとする悪い癖がある。だから10年に一度くらい激しく人とぶつかる。
他の人と比べるとぶつからないほうかもしれないが、のっぴきならなくなるような事態に陥る。
適当にやっているつもりで、どこか適当さがいい加減なのである。

岸田秀が唯幻論を語る中で、「全ては幻想なんだから、ムキになるな」的なことを何度も繰り返すが、その通り。決して「適当でいいんじゃない」とは言っていないが、ギリギリに締めていいことなんて何もない。

現在、領土問題でギリギリ同士で進退窮まっているが、もう一度「国家」ってなんだかよーく考えてみてみませんかね。砂漠やジャングルの中で国境線がかっちり定まっていないところなんかたくさんありますよ。国家は誰が住むところですか、例えば日本は日本人しか住んではいけないところですか。2重国籍を持っている人もたくさんいますよ。
国家があって国民がいるのか、国民がいて国家が存在するのか。どっちも同じに聞こえるけど、全然違いますよ。

うまい「適当」を高田純次が考えてくれないかしら。

済州島ではうまいこと石を積み上げると幸せになれる、という楽しい言い伝えがあるということで島中で写真のようなものを見ることができる。
積み上げるほうは必死でも、見るほうはうまいこと適当に積んだなあ、と感心する。
そのあたりに極意がありそうな気がするんだけど。