丸谷才一先生が亡くなられました

丸谷才一を初めて読んだのは中学生のときのことである。
同じ班の女の子に「大倉君、面白い本を貸して」と擦り寄られたので、こっそり親の本を読んで体が火照った丸谷才一の「たった一人の反乱」をやはりこっそり持ち出し、「これが面白いと思うよ」と何の下心もなく貸してしまったのである。中学生で下心あったら大馬鹿もんである。誓ってそのようなことはありませんでした。

たった一人の反乱 (講談社文芸文庫)

たった一人の反乱 (講談社文芸文庫)

単行本の表紙はこれ。
たった一人の反乱 (1972年)

たった一人の反乱 (1972年)

下心はなかったんだけど、読みようによっては少し中学生にはスケベかも知れんな、何か言われるかな、と認識しており、どんな反応が返ってくるか楽しみではありました。
当時の中学生には旧仮名遣いだし、厚い本なので、途中でやめちゃうかもな、とも思ったので、反応を見て次は「家畜人ヤプー」を読ませてみるかとは全然思わなかった。あれ貸してたらきっと私の評価は「最低変態野郎」ということになっていたはずである。
家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

彼女は「たった一人の反乱」を読み通し、「大倉君がこんな本を読んじょるとは思わんかった」というまあまあの反応をいただき、「そうだな、そう思うだろうな」と納得した。それ以来、彼女は私に「本貸して」とは言わなくなった。が、彼女の周りの女子が「大倉、スケベ」という目で見るようになった気がする。

そんな具合に、丸谷才一は評論家としての活動が圧倒的に多いので、ややこしい小説を書く人だと思っている人がいるかもしれないが、中学生がやや過剰な反応をすることがあるかもしれないが、何が書いてあるかは充分に理解できる非常に平易で、わかりやすい文章を綴る作家だった。

問題は何しろ小説を書かない。
私は小説が好きな作家がいくらエッセイや評論を書いてもまったく読む気になれない。丸谷才一の小説に激しく傾倒していた私は何度もラジオで「なーんで小説書かない」と説教をしたのだが、その声は先生に届くことがなかったようである。
しかし、BOOK BARが始まって比較的早くに「たった一人の反乱」を紹介して、「あなたは小説を書きなさい、成功しますから」と叱咤したところ昨年「持ち重りする薔薇の花」という大人の小説を書いたので「よくできました」と再度番組で取り上げたりしました。
きっとご本人はわけのわからんハゲが遠くで吠えていたことなんか全く知らなかったと思いますけどね。

持ち重りする薔薇の花

持ち重りする薔薇の花

丸谷先生は特に日本語について厳しく指導されていたので、極力評論からは遠ざかっていた。そのおかげで、こんなおかしな文体でしか物を書けなくなってしまった。それにしてもエッセイ・評論が多すぎる。せめて半分くらいにして小説をもっと書いていてくれていれば、私ももう少しまともな文章が書けるようになっていた気がするんだけど。
私の勘定だと12本しか書いていないのではなかろうか。
1960年に「エホバの顔を避けて」で長編デビューして以来52年間で12本はいかがなものか。
私のように新しいものが出るたびに飛びついて、本に顔を突っ込んで読んでいた人間は淋しくて仕方がない。実はそのデビュー長編「エホバの顔を避けて」だけ読んでいないので、これからじっくり読むことになる。今中古で買いました。

「平易でわかりやすい」と書きましたが、物によっては題材が馴染みのないものもあり、話が違うとクレームをつける方もいらっしゃるかもしれない。
「裏声で歌へ君が代」なんかは題材に少し驚いたりしました。

裏声で歌へ君が代 (新潮文庫)

裏声で歌へ君が代 (新潮文庫)

映画化された「女ざかり」はまさに毎日新聞論説委員をそのまま主人公にしており、これは私もいい歳した大人として、うっとりしながらページをめくったものです。といっても1993年か。20年近くも前のことだ。
女ざかり (文春文庫)

女ざかり (文春文庫)

心沸き立ち、興奮して走りながらしか読めないような場面では、逆に筆を緩め、フワッとしたユーモアで小説から「そんなに興奮するんじゃない」とたしなめられるような感じだったな。

また、大好きな作家がいなくなってしまった。
残された小説があるから、それでいいということもあるのだろうが、もっとたくさん読ませていただきたかった。
書き残されたものがあるのであれば、黙って出版して欲しい。
未完でも全然かまわないから。

87歳で逝かれたのだから、もう充分と思われたのかもしれないが、まだ「そうか」とは整理できずにいる私です。