朝刊太郎

ぼくのアダナをしいってるかい。
朝刊太郎というんだぜ。

というわけで、山田太郎の歌った「新聞少年」から始まりました。
1965年の曲だ。
月曜の朝にはピッタリの曲だな。
朝刊太郎に日曜も月曜もないんだけど。

朝刊太郎とはふざけた名前だと思われた方、あくまでもアダナです。本名はわかりません。

私も朝刊太郎だったことがある。
父さんがいなかったからではない。
本を買うお金が欲しかったからだ。

普通、親なら本が欲しいと言えば、無条件で買ってくれていたそうだが、私の家は違っていた。
なぜ買ってくれなかったんだろう。色々複雑な事情でもあったのかな。
ともあれ今日は恨み節ではない。お母さん、安心していていいですよ。

小学生高学年から北杜夫の本を読み始めて、そのうち遠藤周作星新一をガツガツ読みたくなったんだけど、中学校の図書館には多分そんな本はなかったと思う。
普通はあるのかもしれないが、何しろできたての学校で入学して卒業するまで体育の授業のほとんどはグラウンド整備という環境だったので、本が何でも揃っていたとは考えにくい。
今記憶に深くダイブしているが、図書館というものが全く思い出せない。あったっけな、てな具合だ。

もしかしたらエロ小説も買ってやろうという下心があったのかもしれないが、とにかく本を買う金が欲しい。小学校から仲の良かった中村君が朝夕新聞配達をやっていた。小学生の頃から足にモジャモジャの毛が生えているような、大人小学生だった。

彼とは中学校入学後、一緒にバンドを始める森とテニス部に入った。私は背が高く、中村は毛がモジャモジャなので何もしなくても強そうに見えるという極めて高度な考察の末ペアを組んだ。
恐ろしいもので、そのペアリングは功を奏し、最弱だった私たちは実際公式試合に出ると、相手が勝手にビビッてしまい、最初のゲームだけは何もしなくても取れていた。2ゲーム目からは落ち着きを取り戻した対戦相手に「どへた」だと見破られ、勝てたことがなかったんだけど。

話を戻しましょう。

彼に中学校に入るとき、お金の稼ぎ方について教えてもらった。
地道にコツコツやることだ、間違ってもカツアゲなんかするんじゃないと諭されて、彼が働いていた毎日新聞の配達所で入学と同時に朝刊を配り始めた。
しかし、私は小学生までは夜8時に寝る習慣が付いていたため、何しろ眠い。
下関の人はどういうつもりなのかしらないが、異常に早起きで朝4時に起きて、真っ暗なうちから自転車の荷台に新聞をくくりつけ配り始めないと間に合わないと業務命令が下っていたのだ。
眠い、眠い、眠い。
授業なんかまともに聞いてらんない。
テニスやって帰った日にゃ、そのまま寝ちゃうわけだ。
宿題なんか知ったこっちゃない。

それを考えると中村君は素晴らしい肉体美を誇っていたし、体力もあったんだな。

朝4時に起きて、とにかく朝刊太郎だから雨でも嵐でも合羽を着て自転車で出て行く。全然慣れない。雨が降ると汗が合羽の中でだらだら流れ出し、雨に濡れているのと同じになる。
おまけに当時は新聞受けを置いていないバカヤロウが大勢いて、引き戸の間に新聞の角をキュッと押し込み、そのままグイグイと滑らせながら玄関に落とすのである。
引き戸でない家には新聞をいちいちビニール袋に入れて、濡れないように軒下に置くのだが、あまり雨風がひどいとすっ飛んで、中の新聞までびしょ濡れになる。それで文句言ってくんだからたまったもんじゃないよ。ふざけんな。新聞受け作れよ。バーカ。今思い出して興奮してしまった。
そのくらい切実だった。

天気のいい日だと配っている間は気分がいい。一軒だけ新聞を待ってくれているおじいさんがいて、「おはよう」と声をかけてくれた。「おはようございます」と元気に答えていたな。まるで新聞少年だ。
新聞受けに入れるのもテンポができて、走りながら、ふたつに折って、さらに膝でポンともう一度折って投函していくんだよ。

と4月から始めてみたものの、やはり眠い。眠気には勝てない。
親が心配したが、「心配するなら金をくれ」と言いそうになった。
しかし、私のような脆弱な精神、肉体しか持ち合わせていない軟弱野郎は確か3ヶ月くらいで音をあげた。「困ったわねえ」と配達所のおばさんに本当に困った顔をされたが、もう限界。肉体派同級生でこいつなら大丈夫だろう、と思える人間にバトンタッチしたが、そいつは1週間しか続かなかった。しかも、朝来ない日が何度かあって、私が呼び出され配らされたりしちゃったよ。
朝を制するものは人生も制するよ。私は放り投げちゃったから、こんなになっちまった。

13歳で朝刊太郎はきつかった。
プレッシャーもあった。
ある日早めに学校から帰宅して、寝倒れていたら突然目が覚めた。
「明るい!!!!やばい!!!!!」
朝は真っ暗なんで、少しでも起きた時に明るいとパニックになっていたのである。
大遅刻したと2階から駆け下り、親が「何しよるんかね。夕方よ」というわけのわからんことを言っていたがすべて無視して、自転車にまたがったところで「あら」と気が付いた。
あの起きた時に「やべー」ってのは心臓に悪いね。
旅の最中でもそんなことなんかないもん。

昨日、夕方昼寝をしていた娘を起こしたら「パニクッった」としみじみしていたので、この昔話をしてあげた。なんの役に立ったかは不明である。

ああ、なつかしい、この生野神社の前も毎朝、新聞くくりつけて自転車でぶっ飛ばしていた。